「新樹」は萌え出たばかりの瑞々しい若葉をいっぱいに広げた木々・樹木のこと。若葉の一葉一葉よりも、木立全体の立ち姿に焦点が置かれた言葉。
掲句は、自らが一本(ひともと)の新樹になりたいとの思いを表出した作品。作者の念頭にあるのは、他の木立から離れて、きりりと直立するメタセコイヤやカラマツなどの一本の樹木だろう。初夏の日差しを受けて輝く新樹の初々しさ、瑞々しさ。また、すっくと天に向かって立つその姿。仰ぎながら、作者の心はいつしかその樹と一体になっていたのだ『俳壇』2026年7月号。
「新樹」は萌え出たばかりの瑞々しい若葉をいっぱいに広げた木々・樹木のこと。若葉の一葉一葉よりも、木立全体の立ち姿に焦点が置かれた言葉。
掲句は、自らが一本(ひともと)の新樹になりたいとの思いを表出した作品。作者の念頭にあるのは、他の木立から離れて、きりりと直立するメタセコイヤやカラマツなどの一本の樹木だろう。初夏の日差しを受けて輝く新樹の初々しさ、瑞々しさ。また、すっくと天に向かって立つその姿。仰ぎながら、作者の心はいつしかその樹と一体になっていたのだ『俳壇』2026年7月号。
「万緑」は初夏の頃の初々しい新緑から、梅雨を経てさらに力強さを増した満目の緑のこと。中国の宋代の詩人王安石の詩の一節「万緑叢中紅一点」に由来する季語。
掲句は、大雨を経ていよいよ濃くなった草木の緑を「鯤ゆく如し」と詠む。「鯤(こん)」は中国の古典『荘子』に登場する想像上の巨大魚。そのサイズは数千里にも及ぶという。巨大な魚という以外、「鯤」の外観は読者の想像に委ねられているが、たっぷり雨を含んだ満目の緑を、中国古代の想像上の巨大な生き物に譬えた作者の想像力の飛躍は快い。雨に濡れて陰翳を深めた草木の深々とした緑が、魚の鱗を連想させたのかも知れない。『文藝春秋』2026年7月号。
「含羞草(おじぎそう)」はブラジル原産のマメ科の多年草。晩夏の頃、葉の腋に淡紅色で四弁の花を球状につける。触れるとお辞儀するように葉を閉じる性質がある。
掲句は、店先にいくつか並んでいる鉢植えの「おじぎ草」の葉に一通り触れてみて、その中の一つを買ったとの句意。触れて葉の反応を確かめたのか、それとも単なる遊び心なのか。いずれにしても、淡々とした詠みぶりの中に、作者の気張らない日常が浮かび上がってくる。一鉢の「おじぎ草」は、そうした作者の日常にささやかな彩りを与えるのだろう。『俳句』2026年6月号。
「風入(かぜいれ)」は夏の土用の頃、晴天の日を選び、衣類や書物などを外に出して陰干しし、風を通して虫害やカビを防ぐこと。「虫干」の傍題。
掲句は、蔵書の「聖書」と「悪の華」が並べられて、陰干しされている情景。「悪の華」は周知のように1857年にフランスの詩人シャルル・ボードレールが発表した詩集名。その内容は、人間の魂が天国と地獄の間で葛藤し、最終的に死へと向かう旅の叙事詩とされ、キリスト教的な世界観への反発とそれとの深い結びつきが一体となったもの。「聖書」と「悪の華」をぶつけることによって醸し出される詩情を、作者は、「風入」という日本的な情景、情緒の中に収めた。伝統俳句の枠の中に収めたといってもいい。ヨーロッパの教養人がこの句を読んでどのような感想を抱くか興味深いところでもある。『俳句』2026年6月号。
「虎杖(いたどり)」はタデ科の多年草。山野に自生する。春先、赤味を帯びた新芽が出る。新芽や茎は酸味があり、生食や和え物にする。
掲句は、久し振りに故郷の土佐に帰郷して、友らと旧交を温めながら、野に萌え出た虎杖を噛んでいる場面を詠んだもの。同郷の人と故郷の野に遊んで、身も心も解き放たれたような気分がよく表れている。故郷に定住している人も、離郷した人も、そこでは誰憚ることなく故郷の土地訛りで話す。何気なくそこらに生えた虎杖の新芽を噛むと、その酸味は、かつてそれを折って食べた幼少期を思い起こさせるのだろう。『俳句』2026年6月号。