「明易(あけやす)」は夏の夜が短く、すぐに夜が明けてしまうこと。すがすがしい夏の夜明けにあって、短夜(みじかよ)を惜しむ思いがある。
掲句は、早々と明け白む旅の一夜を詠んだ作品。一、二泊の軽い旅とあって、旅の荷も小さい旅行鞄一個。気軽な小旅行だが、旅先ではいつものように早々と目が覚めてしまう。同行の人たちがまだ眠っている中で、作者は清々しい夏の空気を吸いながら、たちまち明けてしまう旅先の一夜を惜しんでいる。『俳壇』2026年7月号。
「明易(あけやす)」は夏の夜が短く、すぐに夜が明けてしまうこと。すがすがしい夏の夜明けにあって、短夜(みじかよ)を惜しむ思いがある。
掲句は、早々と明け白む旅の一夜を詠んだ作品。一、二泊の軽い旅とあって、旅の荷も小さい旅行鞄一個。気軽な小旅行だが、旅先ではいつものように早々と目が覚めてしまう。同行の人たちがまだ眠っている中で、作者は清々しい夏の空気を吸いながら、たちまち明けてしまう旅先の一夜を惜しんでいる。『俳壇』2026年7月号。
「燕の子」はその年に生まれた燕の雛や幼鳥のこと。春に日本へ渡ってきた親燕は巣作りをし、抱卵季を経て5月から7月にかけて雛が孵る。雛たちは、軒先などの巣から大きな口を開けて餌をねだったり、巣立ちの練習をしたりする。
掲句は、いつも大きな口を開けて餌をねだっていた子燕が、今朝は一つ減っていたという。巣立ったのだろうか、それとも外敵に襲われたのだろうか。毎日燕の巣を見上げて、子燕の成長を楽しみに見守ってきた作者には何とも気にかかるのだが、確かめようがないのだ。表現は平明で何の奇もないが、燕の子の成長を日々見守る作者の心の揺らぎが、一読手に取るように伝わってくる。『俳壇』2026年7月号。
「新樹」は萌え出たばかりの瑞々しい若葉をいっぱいに広げた木々・樹木のこと。若葉の一葉一葉よりも、木立全体の立ち姿に焦点が置かれた言葉。
掲句は、自らが一本(ひともと)の新樹になりたいとの思いを表出した作品。作者の念頭にあるのは、他の木立から離れて、きりりと直立するメタセコイヤやカラマツなどの一本の樹木だろう。初夏の日差しを受けて輝く新樹の初々しさ、瑞々しさ。また、すっくと天に向かって立つその姿。仰ぎながら、作者の心はいつしかその樹と一体になっていたのだ『俳壇』2026年7月号。
「万緑」は初夏の頃の初々しい新緑から、梅雨を経てさらに力強さを増した満目の緑のこと。中国の宋代の詩人王安石の詩の一節「万緑叢中紅一点」に由来する季語。
掲句は、大雨を経ていよいよ濃くなった草木の緑を「鯤ゆく如し」と詠む。「鯤(こん)」は中国の古典『荘子』に登場する想像上の巨大魚。そのサイズは数千里にも及ぶという。巨大な魚という以外、「鯤」の外観は読者の想像に委ねられているが、たっぷり雨を含んだ満目の緑を、中国古代の想像上の巨大な生き物に譬えた作者の想像力の飛躍は快い。雨に濡れて陰翳を深めた草木の深々とした緑が、魚の鱗を連想させたのかも知れない。『文藝春秋』2026年7月号。
「含羞草(おじぎそう)」はブラジル原産のマメ科の多年草。晩夏の頃、葉の腋に淡紅色で四弁の花を球状につける。触れるとお辞儀するように葉を閉じる性質がある。
掲句は、店先にいくつか並んでいる鉢植えの「おじぎ草」の葉に一通り触れてみて、その中の一つを買ったとの句意。触れて葉の反応を確かめたのか、それとも単なる遊び心なのか。いずれにしても、淡々とした詠みぶりの中に、作者の気張らない日常が浮かび上がってくる。一鉢の「おじぎ草」は、そうした作者の日常にささやかな彩りを与えるのだろう。『俳句』2026年6月号。