「水中花」はコップや鉢の水に入れると、水を吸ってきれいに開く人工の造花(玩具)のこと。江戸時代に中国から伝来し、かつては酒席の遊びとしても流行した。
掲句は、本棚の本を二三冊抜いて、その空いたスペースに水中花を置いたという。日常のさり気ない動作を「水中花」という夏の季物とともに淡々と詠んだ作品だが、暑い夏を本に親しみつつ過ごす作者の平穏な日々が浮かび上がってくる。「水中花」は、夏を心地よく過ごすために欠かせないものとして、いつも作者の身辺にある。『俳句四季』2026年6月号。
「水中花」はコップや鉢の水に入れると、水を吸ってきれいに開く人工の造花(玩具)のこと。江戸時代に中国から伝来し、かつては酒席の遊びとしても流行した。
掲句は、本棚の本を二三冊抜いて、その空いたスペースに水中花を置いたという。日常のさり気ない動作を「水中花」という夏の季物とともに淡々と詠んだ作品だが、暑い夏を本に親しみつつ過ごす作者の平穏な日々が浮かび上がってくる。「水中花」は、夏を心地よく過ごすために欠かせないものとして、いつも作者の身辺にある。『俳句四季』2026年6月号。
「三・一一」は、2011年3月11日に発災した東日本大震災のこと。「東日本大震災の日」「東日本大震災忌」「三月十一日」などといい、追悼や祈りを込める季語として定着してきている。
掲句は、「三・一一」と「海底に開く冷蔵庫」の取り合わせた。実際に目にした景ではないだろうが、海底に沈んで扉が開いたままになっている冷蔵庫が、生々しく目に浮かんでくる。冷蔵庫は日々の生活の細部を映し出す身近な家電であり、そのイメージは、一瞬のうちに絶たれた人々の日常を想起させる。津波災害の悲惨さを改めて突き付ける一句。『俳句四季』2026年6月号。
「鞦韆(しゅうせん)」はブランコのこと。古くは中国から伝わり、貴族の遊びだったが、現在は子供たちに人気の遊具。冬の寒さから解放されて春風の中で漕ぐ躍動感に、その醍醐味がある。
掲句は、「鞦韆」を立ち漕ぎにして、高い目線から見えてくるものがあると詠む。当たり前のことだが、人は、自分の目の高さから世の中を見ている。大人には大人の、子供には子供の見え方があるだろう。ブランコを立ち漕ぎにして、座っているときより周囲が広々と見えてくるのは気持ちいいものである。この句は、視界が開けた気持ちよさに加えて、日頃我々が意識していない外界のものの見え方を改めて意識させるところがある。『俳壇』2026年6月号。
「春隣(はるとなり)」は、厳しい寒さのなかにあって、すぐそこまで春が近づいていること。晩冬には寒さが緩む日が多く、春の訪れを感じることが多くなる。梅や椿の蕾が解け始め、日一日と日脚が伸びてくる。
掲句は、街中や郊外の工事現場などに林立するクレーンを麒麟(きりん)に譬えて、春が近づいてくる季節の明るい気分を表出した作品。確かにクレーンが街の空に抜きん出て立っている様は、首の長い麒麟がぬっと立っているのに似ている。クレーンは、詩趣に乏しい現代風の機械装置だが、動物園の人気者である麒麟に譬えたことで、詩の素材になった。心に童心を宿していなければ、探り当てられない比喩である。『俳壇』2026年6月号。
「初桜(はつざくら)」は今年初めて咲く桜、又は咲き始めたばかりの桜のこと。待ちわびた花に出会えた喜びや、一輪二輪と咲いていく桜の初々しさを表す。
掲句は、一日一日花を増やしていく「初桜」を、言葉を覚え始めた赤子に譬えた作品。赤子が一語一語言葉を覚えて、話せるようになっていくのと同じように、桜も、一輪また一輪と花を増やして、一週間ほどして満開になっていく。「初桜」のまだ数えるほどもない花数や初々しい咲きぶりが彷彿する卓抜な比喩である。『俳壇』2026年6月号。