長年社会を支えてきた高齢者をいたわり、感謝し、長寿を祝う日。もともとは9月15日だったが、ハッピーマンデー制度により現在は9月の第3月曜日。昭和22(1947)年9月15日、兵庫県多可郡野間谷村(現在の多可町)の門脇政夫村長が提唱した「敬老会」がルーツだという。昭和41年、全国的な広がりを受け、法律で「敬老の日」として国民の祝日に制定された。「老人の日」などともいう。

長年社会を支えてきた高齢者をいたわり、感謝し、長寿を祝う日。もともとは9月15日だったが、ハッピーマンデー制度により現在は9月の第3月曜日。昭和22(1947)年9月15日、兵庫県多可郡野間谷村(現在の多可町)の門脇政夫村長が提唱した「敬老会」がルーツだという。昭和41年、全国的な広がりを受け、法律で「敬老の日」として国民の祝日に制定された。「老人の日」などともいう。

以前に紹介したノルマンディー地方の古都ルーアンは、1431年にジャンヌ・ダルクが異端審問の末に火刑に処された地でもある。ジャンヌが直接軍を率いて活躍した期間はわずか1年ほどで、彼女は志半ばで宗教裁判にかけられ火刑に処された。
次の写真は、百年戦争時、ジャンヌ・ダルクが裁判期間中に幽閉されていたフィリップ・オーギュスト城の遺構。「ジャンヌ・ダルクの塔」と呼ばれている。現在は内部が資料館になっている。

旧市街(ヴュー・マルシェ)広場。中世(ジャンヌ・ダルクの時代)から現在に至るまで何世紀もの間、市場(マルシェ)が開かれ続けてきた場所である。ジャンヌが火刑に処された当時も、ここは活気ある日用品の市場だったという。現在も、広場中央にあるジャンヌ・ダルク教会の建物と一体化したスレート屋根の屋内市場が立ち、ノルマンディー特産のチーズ(ハート型のヌフシャテルなど)や新鮮な野菜、魚介類、花などが並んでいた。

ジャンヌ・ダルク教会は、伝統的なゴシック様式の教会とは全く異なる、非常に個性的でモダンな建築だった。1979年に建築家ルイ・アレシュの設計によって建てられたという。スレート(瓦)葺きのうねるような屋根は、ジャンヌが命を落とした火刑の炎を表現しているとされる。

教会の北側の壁は、16世紀(ルネサンス期)に制作されたステンドグラスで埋め尽くされていた。第二次世界大戦の空襲で破壊された別の教会(聖ヴァンサン教会)の遺物で、戦火を避けるために事前に取り外され地下に保管されていたものという。

次の写真は、教会内部のジャンヌ・ダルク像。剣を手に戦う戦士としての姿ではなく、哀しみを帯びた祈りの姿である。衣服の裾が波打っている様は、燃え盛る火刑の炎を連想させる。私たちが訪れたときも、ジャンヌの像に花や灯火を供える人が跡を絶たなかった。

フランス人にとってジャンヌ・ダルクは、 外敵(イギリス)からフランスを救った愛国者であり、 神の啓示に従った聖女であり、農民階級から立ち上がって国を救った民衆の英雄であるなど多様な側面を持ち、時代や思想的・政治的立場(右派、左派など)を超えてフランスのアイデンティティを象徴する存在。フランス人にとって彼女は単なる過去の偉人ではなく、今なおフランス人の精神や団結の象徴とされる。国王という絶対的な頂点を失い共和国となったフランスが、先の2度にわたる大戦に際して、国民の団結と愛国のシンボルとなる存在を必要としたという背景もあるようだが、ルーアンのジャンヌ・ダルク教会やその他の遺構は、ジャンヌ・ダルクが、今なおフランス人の心の中に生き続けていることを改めて認識させてくれた。ナポレオンやド・ゴールなどフランスで過去に出現した偉人は相当数になると思われるが、その誰もが、ジャンヌに取って代わることができないのだろう。
「レモン」は、インド北東部のヒマラヤ山麓原産のミカン属ミカン科の柑橘類。漢字表記では「檸檬」。初夏に白い花が咲き、秋から冬にかけて鮮やかな黄色の実が熟す。強い酸味と爽やかな芳香が特徴。黄色く熟す前の秋口の頃に収穫される緑色のレモンが「グリーンレモン」。その強い酸味と爽快な香りを活かして、さまざまな料理やドリンクに幅広く用いられる。「檸檬」の傍題。

「秋の暮」には、秋の日の夕暮れ(一日の終わり)と、秋という季節の終わり・晩秋という2つの意味がある。日本の詩歌ではこの2つの意味が重なり合い、単なる時間の経過だけでなく、もののあはれや何とも言えない寂しさ、切なさを表現する言葉として大切にされてきた。
掲句は「秋の暮」という伝統的な季語を用いて、日常生活の機微を掬い上げた作品。一汁(いちじゅう)というのだから、味噌汁や澄まし汁など和食の汁物だろう。今夜の味噌汁に入れる葉物は何にしようかなどと考えながら、買い物をしているのだ。葉物は小松菜、ホウレン草、三つ葉などだろうか。日々繰り返されるごく卑近な日常の一コマが、下五の「秋の暮」により、しみじみとした情感を宿す一句に仕上がっている。『俳壇』2026年10月号。
カンブルメールはノルマンディー地方にある人口約千人ほどの小さな村。シードル街道(La Route du Cidre)の中心地として知られる。周辺には、リンゴ畠の中にシードル(発泡性のリンゴ酒)やカルバドス(アップルブランデー)を醸造する醸造所が点在していた。なお、シードル街道は、1970年代以降に整備された、この地方を走る全長約40キロメートルの観光ルート。
次の写真は、村内で立ち寄った醸造所敷地内のリンゴの木。生食用のリンゴとは別の種類だという。ノルマンディ地方はフランス国内でも北寄りに位置し、曇りがちで比較的涼しい気候が続くため、ブドウの糖度が十分に上がらないなどブドウ栽培には適していないが、粘土質の土壌や冷涼な気候がリンゴ栽培に合っているのだ。ただ、私たちの滞在中は予想外の暑さで、夏のノルマンディ地方が冷涼な気候とも言えなくなってきているのは、気がかりなことである。

醸造所内には、シードルやカルヴァドス、ポモーの試飲や購入ができるコーナーがあった。なお、ポモーはリンゴ果汁とカルバドスをブレンドしたもの。次の写真は、醸造所内の赤レンガの炉を備えた蒸留器(アランビック)。ここでカルヴァドスを蒸留しているのだという。カルヴァドスは、シードルを蒸留し、オークの樽で長期間熟成させて作られる。

数日後に訪れたブブロン・アン・オージュ(Beuvron-en-Auge)も、シードル街道沿いの人口200人ほどの小さな村。次の写真は、村の中心部に立つサン・マルタン教会。教会に続く道の両側には、季節の花々が植えられていた。

村の中心部を流れるル・ドワ川。豊かな自然の中をゆっくりと流れていた。強い日差しの下で、菩提樹の木蔭が涼しかった。

ノルマンディ地方・ブルターニュ地方は言わば「リンゴの国」。滞在中に立ち寄ったスーパーには、いろいろな種類のリンゴが山積みになっていた。中央の赤黄2色のリンゴは今年収穫した早生種で、右側の青リンゴ(グラニースミス)と左側のゴールデンデリシャスは去年収穫したもの。高度な冷蔵・貯蔵技術によって、前年の秋に収穫したリンゴが、鮮度が保たれたまま店頭に並んでいるのだ。因みに、フランスでは国民の果物消費量の1位がリンゴ。旅行中の私たちもリンゴを沢山買い、コンポートにして美味しくいただいた。

ノルマンディ地方のオンフルールの町中にあった酒店。上の棚には、カルバドスやポモーの瓶が見える。

サン・マロの町中にあった雑貨店の店先。シードルカップが並んでいる。ノルマンディー地方やブルターニュ地方では、シードルをグラスではなく、陶器製のカップで飲む伝統があるという。私たちは、後日、スーパーで買ったシードルを夕食時に愉しんだ。アルコール度数はビールより低く、フルーティーで、呆気ないほど口当たりが良かった。余りに軽くて、物足りなく感じる人もいるかも知れない。

次の写真は土産に持ち帰ったカルヴァドス。ノルマンディー地方で作られる、リンゴを原料とした最高級の蒸留酒(ブランデー)である。瓶のラベルに製造者の名前が見える。アルコール度数が40%前後と高いため、フランス人は、食後小さなグラスに注いで、ストレートで少しずつ味わうという。その芳醇な香りを嗅ぐと、ノルマンディ地方やブルターニュ地方で過ごした数日が、改めてよみがえるような気がする。
