立夏の前、春も終わりに近づく頃、晴れわたった空の色、日差しの強さ、木々の若葉などに夏が近いことを実感する。春を惜しむ気持ちよりも、間もなく躍動的な夏が来ることへの期待感や明るい喜びが感じられる。「夏隣」ともいう。

立夏の前、春も終わりに近づく頃、晴れわたった空の色、日差しの強さ、木々の若葉などに夏が近いことを実感する。春を惜しむ気持ちよりも、間もなく躍動的な夏が来ることへの期待感や明るい喜びが感じられる。「夏隣」ともいう。

日本在来のカヤツリグサ科の多年草。ヒゴクサに似て、雌小穂(花の集まり)の柄がないことからこの名がある。全国の草地、低山の林縁、道端などに自生する。春から初夏にかけて、茎の先端に雄小穂が1個、その下に数個の雌小穂がつく。雌雄同株。なお、歳時記には掲載されていない。

虚の樹に音かぶさつて送り梅雨 直人
「送り梅雨」は梅雨明け直前に降る激しい雨や雷雨のこと。梅雨を送り出し、夏を迎えようとする荒々しい雨が、梅雨を送り出すかのように降る。
掲句は、虚(うろ)の樹に音をたてて降る梅雨明け前の荒雨を詠む。何らかの理由で内部が腐朽して虚ができたのだが、持ちこたえて齢を重ね、作者の身辺に根を張っている老樹。日常の四季折々にその老樹に注がれる作者の懇ろな眼差しが思われる。老樹と作者は、風土をともにするもの同士の絆で結ばれているのだ。平成22年作。『風の空』以後。
紅梅は、梅のうち赤い花を咲かせる種類とその花をさす。白梅より少し遅れて咲く。単に梅という場合は、一般的に白梅を指すことが多い。
掲句は、紅梅が暮れきって闇に沈んだ中を抜けてきたとの句意。闇の中にほのかに浮かび上がる白梅に対して、紅梅はいち早く闇に沈む。闇に沈んでも、昼間目にした紅梅の艶やかさはいつまでも眼裏に残っている。紅梅が咲く頃の、やや寒さが緩んだしっとりした闇が周りを包む。『俳句』2026年5月号。
冬季の乾燥と春の強風により砂埃が舞うこと。冬に降った雪や霜が溶けて地面が乾き、そこへ春の強風が吹くことで、砂塵や埃が舞い上がる。「春塵(しゅんじん)」と同義だが、都会の雑踏や、光の中に舞う微細な塵など、都会的な風景や乾いた情景によく合う「春塵」に対して、「春埃」はより身近で生活感のこもった言葉。「春塵」の傍題。
