明治時代の俳人・歌人である正岡子規(1867〜1902年)の忌日(命日)で、9月19日。当時(今でも)、病床にあった子規庵の庭には糸瓜が植えられており、その汁は痰を切る民間薬(糸瓜水)として使われていた。子規が脊椎カリエスで亡くなる直前に残した辞世の3句*すべてに糸瓜(へちま)が詠み込まれていたことから、子規の忌日を「糸瓜忌」と呼ぶようになった。「子規忌」「獺祭忌」ともいう。
*糸瓜咲て痰のつまりし仏かな
痰一斗糸瓜の水も間にあはず
をとゝひのへちまの水も取らざりき

明治時代の俳人・歌人である正岡子規(1867〜1902年)の忌日(命日)で、9月19日。当時(今でも)、病床にあった子規庵の庭には糸瓜が植えられており、その汁は痰を切る民間薬(糸瓜水)として使われていた。子規が脊椎カリエスで亡くなる直前に残した辞世の3句*すべてに糸瓜(へちま)が詠み込まれていたことから、子規の忌日を「糸瓜忌」と呼ぶようになった。「子規忌」「獺祭忌」ともいう。
*糸瓜咲て痰のつまりし仏かな
痰一斗糸瓜の水も間にあはず
をとゝひのへちまの水も取らざりき

「苺(いちご)」は、バラ目バラ科オランダイチゴ属の多年草。晩春の頃白く小さな五弁の花を咲かせた後、初夏の5月から6月にかけて実が赤く熟す。現代では冬や春先から市場に出回るが、本来は初夏からの味覚であり、夏の季語。
掲句は、令和7年のフランス旅行の帰途、ルフトハンザ航空の機内での作品。行きは北極上空を通る北回りルートだったが、帰りは黒海上空を通った。機内でうつらうつらしていても、途方もなく広大なユーラシア大陸の真っ只中を行く緊張感があった。機内食に出たフルールが何であったか、今は思い出せないが、或いはカットされたオレンジ、リンゴなどにイチゴも混じっていたのかも知れない。長旅が無事に終わった気分の高揚と安堵感が、心のどこかにあった。令和7年作。
刈り取った後、乾燥させるために、稲架(はざ)などに掛け渡してある状態の稲を指す。収穫したばかりの水分を含んだ稲穂を、約2週間ほど天日と自然の風で乾燥させる。現代では機械による火力乾燥が主流となっているので、目にすることは少なくなった。「稲干す」の傍題。

クワガタムシ科に属する甲虫の総称。「鍬形」ともいう。頭部にあるハサミ状の大きな大顎(角)が特徴。各地に生息し、ミヤマクワガタ、オオクワガタ、ノコギリクワガタなど多くの種類がある。夜間に雑木林のクヌギやコナラの樹液などに集まる。
下の写真は、野辺山高原(標高1400メートル前後)で撮ったヒメオオクワガタのオス。道路のアスファルトを歩いていた。

「ゴッホ忌」は近代の画家フィンセント・ファン・ゴッホの命日で、7月29日。1890年のこの日、パリ近郊のオーヴェール・シュル・オワーズの下宿先で死去した。享年37歳。なお、歳時記には掲載されていない。
掲句は、令和7年の南仏旅行中、ゴッホゆかりのアルルやサンポール・ド・モーゾ-ル修道院を訪れたときの作品。6月下旬から7月初旬にかけての暑い最中、頭上では絶えずジジジジ、シューシューなどと蝉が鳴き続けていた。南仏の明るい陽光のもとで、独自の色彩表現に目覚めていったゴッホを偲びながら、アルルの町中にある『夜のカフェテラス』のモデルとなったカフェや、ゴッホが耳切り事件の後に入院した旧アルル市立病院跡を訪ねた。ゴッホ忌の7月29日には少し間があったが、この地で画業に勤しんだゴッホを追慕する思いが、「顱頂に沁みる」に表現できていれば幸いだ。なお、「顱頂(ろちょう)」は頭のてっぺん、又は頭頂部のこと。令和7年作。