虚の樹に音かぶさつて送り梅雨 直人
「送り梅雨」は梅雨明け直前に降る激しい雨や雷雨のこと。梅雨を送り出し、夏を迎えようとする荒々しい雨が、梅雨を送り出すかのように降る。
掲句は、虚(うろ)の樹に音をたてて降る梅雨明け前の荒雨を詠む。何らかの理由で内部が腐朽して虚ができたのだが、持ちこたえて齢を重ね、作者の身辺に根を張っている老樹。日常の四季折々にその老樹に注がれる作者の懇ろな眼差しが思われる。老樹と作者は、風土をともにするもの同士の絆で結ばれているのだ。平成22年作。『風の空』以後。
虚の樹に音かぶさつて送り梅雨 直人
「送り梅雨」は梅雨明け直前に降る激しい雨や雷雨のこと。梅雨を送り出し、夏を迎えようとする荒々しい雨が、梅雨を送り出すかのように降る。
掲句は、虚(うろ)の樹に音をたてて降る梅雨明け前の荒雨を詠む。何らかの理由で内部が腐朽して虚ができたのだが、持ちこたえて齢を重ね、作者の身辺に根を張っている老樹。日常の四季折々にその老樹に注がれる作者の懇ろな眼差しが思われる。老樹と作者は、風土をともにするもの同士の絆で結ばれているのだ。平成22年作。『風の空』以後。
芥火を踏んで潰して半夏生 直人
「半夏生」は夏至から11日目で、7月2日頃。田植えを終える節目の日。ドクダミ科の草「半夏生」や、漢方の原料「カラスビシャク(半夏)」に由来するとされる。地域によっては、この時期に農作物の豊作を願う風習がある。
掲句は「半夏生」の頃、芥火(あくたび)を踏み潰していると詠む。芥火は、ゴミや塵を燃やす火のことで、浜辺に流れついた藻芥(もあくた)を集めて焼いている場面を想像してもいいが、海辺の光景に限ることはないだろう。葡萄栽培の農家であれば、蔓の切れ端などを焚いている場面。いずれにしても、火を踏み消そうとする日常の無造作な動作が思い浮かぶ。折から「半夏生」。火を踏み消すといった日常の中に、人々の豊作への願いや自然への畏怖の思いを汲み取りたい。平成22年作。『風の空』以後。
上げ潮にうねる色ある半夏かな 直人
「半夏(はんげ)」は七十二候の一つ「半夏生」のこと。夏至から11日目に当たり、太陽暦では7月2日頃。かつては田植の終期とされていた。ドクダミ科の多年草「半夏生草」が生える頃でもある。
掲句は、岸辺から潮が満ちてくる海原に望んでの作品。潮位を上げながら差してくる潮が見せている「うねる色」は碧瑠璃色だろうか、それとも鈍色がかった暗い色だろうか。いずれにしても、海のもつ巨大なエネルギーを感じさせる表現。折から盛夏に向かおうとする時節であり、作者はその潮の色に圧倒的な自然の力を感じ取っているのだ。この句の場合は、気象用語としての「うねり」にこだわる必要はないだろう。平成20年作。『風の空』以後。
存分の雷鳴北に甲武信嶽 直人
「雷(かみなり)」は積乱雲の中などで雲と雲、雲と地上の間で放電現象が起きたもの。電光が走った後に雷鳴がとどろく。夏の大気が貯えたエネルギーが、はけ口を求めて迸っているかのような現象。「雷鳴」は「雷」の傍題。
掲句は雷の轟く中、北に揺るぎなく聳え立っている甲武信嶽(こぶしだけ)を詠む。甲武信嶽は、拳(こぶし)を突き上げたような山容と評され、甲州・武州・信州の境に位置する奥秩父主脈の山。作者は、郷里の北に位置するこの山に、朝夕となく親しんできたのだ。「存分の」の措辞が、夏の最中の自然の底力を思わせる。平成20年作。『風の空』所収。
蝸牛山々も歳加へしか 直人
「蝸牛(かたつむり)」は陸生の巻貝。湿気の多い所を好み、草木の葉を食う。頭に二対の触角をもち、長いほうの先に目がある。雌雄同体で地中に卵を産む。
掲句は、眼前に「蝸牛」を点じて、緑滴るような故郷の山々も作者とともに歳を加えたことを詠む。末尾の終助詞「か」は、疑問・推量の意だが、ここでは、故郷の山々に向かいながら、自らに問うている趣である。「蝸牛」と山々と作者は、言ってみれば故郷の風土を形作る構成員である。山々も、作者とともに歳を加えていくという山々との一体感は、故郷に定住・土着している人ならではの捉え方、感じ方。「蝸牛」は、作者と風土をともにする生き物であるとともに、そのゆっくりとした迫らない動きは、悠久の時の流れを感じさせる。平成10年作。『矢竹』所収。