秋灯(しゅうとう)は秋の夜の灯火のこと。ひんやりと澄んだ夜気の中で卓上の灯をともす。読書や勉強に過ごすのに適した秋の夜である。
掲句の対象は小学年低学年くらいまでの児童だろう。宿題だろうか、好きな絵を描いているのだろうか。夢中になって何か書いている子供。鉛筆の文字や絵に肘(ひじ)が触れていたため、指や手はおろか、肘まで真っ黒に汚れてしまっている。誰もが身に覚えがあることだが、「秋灯下」と据えることで、季節感豊かな微笑ましい一句になった。『俳句四季』2023年9月号。
秋灯(しゅうとう)は秋の夜の灯火のこと。ひんやりと澄んだ夜気の中で卓上の灯をともす。読書や勉強に過ごすのに適した秋の夜である。
掲句の対象は小学年低学年くらいまでの児童だろう。宿題だろうか、好きな絵を描いているのだろうか。夢中になって何か書いている子供。鉛筆の文字や絵に肘(ひじ)が触れていたため、指や手はおろか、肘まで真っ黒に汚れてしまっている。誰もが身に覚えがあることだが、「秋灯下」と据えることで、季節感豊かな微笑ましい一句になった。『俳句四季』2023年9月号。
「月今宵(つきこよい)」は中秋の名月のこと。陰暦8月15日の月である。月下に佇めば、月光が秋草を照らし出し、虫の音が競い合うように聞こえてくるだろう。
掲句は中秋の名月の夜空を描き出す。「雲一切流し切つたる」の主語は月である。月が、自らの力で、名月の夜の妨げになる雲を流し切ったというのだ。科学的にはあり得ないのだが、こう表現されてみると、自然のダイナミズムを感じさせるところが表現の妙である。『俳壇』2023年9月号。
「八月」は8月8日頃に立秋を迎えることから秋の季語とされている。依然として暑さが厳しい日々が続き、原爆忌、終戦日、お盆と、物故者や祖先を偲ぶ機会も多い。相変わらず残暑は厳しいが、徐々に秋の到来を感じることも増えてくる。
掲句は、八月の印象を「屍(しかばね)が傷む」季節と大胆に表現した。原爆投下や空襲の惨状は、直接経験していなくても、写真や映像によって脳裏に焼き付いている人は多いだろう。八月の極暑の中で傷んでいく屍のイメージは、生々しく読む者に迫って来る。『俳壇』2023年9月号。
植えた早苗が伸びて田圃は日に日に青々としてくる。稲が生長した田の面を爽やかな風が吹きわたる。
近江という旧国名は琵琶湖をかかえる今の滋賀県のこと。古くは松尾芭蕉から森澄雄まで、多くの俳人を惹きつけてきた地。作者も、その近江を訪れて青田風に吹かれているのだ。「吹かれに来たる」との措辞に風狂の味わいがあろう。『俳壇』2023年9月号。
半夏生は七十二候の一つで、陽暦では7月2月頃。まだ梅雨が明ける前で雨がちの日が続く。
掲句は風音に耳を澄ませて、季(とき)の移ろいを感じ取っている趣の作品。風音に芯があると感じられたのは、雨の前兆の風だからだろうか。聴覚の捉えたものに焦点を絞って、繊細な季節感を働かせている。『俳壇』2023年9月号。