「秋の声」「秋の聲(こえ)」は、ものさびしい秋の情趣を感じさせる物音のこと。秋は空気が澄み、遠くの物音もよく聞こえるようになるとともに、聴覚も繊細になり、かすかな物音にも秋の気配を感じ、秋の到来を実感する。
掲句の「秋の聲」は実際の物音というよりは、作者の「心のあら野」の立てる心象的な声だ。具体的に何の声かなどとは問うまい。詩人、俳人としての表現の道は、荒野の中のひと筋の道を辿るようなものだ。そのような道を独り歩んでいる作者の、心の中の声を聞き留めたい。『俳句四季』2023年8月号。
「星涼し」は「夏の星」の傍題。暑い夏だからこそ、夜空に光を放つ星に涼しさ求める。
掲句の脱皮した後の抜け殻は、蝉やバッタなどの昆虫だろうか、それとも蛇などの爬虫類だろうか。いずれにしても作者はその「脱皮の裂け目」に、脱皮して生まれ変わろうとするその生き物の意志を見たのだ。「迷いなき」との主観を含む措辞に、作者のこの生き物に寄せる思いが表れている。涼気の中の星々も、地上の生き物の脱皮を、天上から見守っているようだ。『俳句四季』2023年8月号。
「夏満月」は昼の暑さから解放されて、屋外や窓辺から見上げる満月。涼しさが降ってくるような夜空に光を放つ。
掲句は、夏の満月を「枳殻のいろ」と形容したところがポイント。枳殻(きこく)はカラタチの別名で、秋に黄色く熟すが酸味が強く、漢方の材料になるものの食用には適さない「枳殻」という果実のもつ風趣が活かされている作品だ。『俳句四季』2023年8月号。
カトリックでは五月をマリアの月(聖母月)と定めている。そして、マリアを崇敬賛美し、聖歌を歌い、祈祷をささげるこの月を、俳句では「聖五月」と称する。風薫る麗しい季節である。
掲句は、ミサをあげたり、洗礼、聖体などの儀式を行う神父の姿を間近に見て、その腕の毛深さに改めて気づいたという情景。西洋人の成人男性の腕の毛深さが、初夏の明るい光の中で、クローズアップされて見えてくる。聖職者である神父も、ひとりの生身の男性であることを発見した作者の驚きが伝わってくる作品。『俳句』2023年8月号。
雨蛙は無尾目アマガエル科の小形の蛙で、葉や草の上に棲む。皮膚の色が、周りに合わせて緑や灰褐色に変わる。雨が近づくときなどによく鳴く。
掲句は、瑞々しい草木の緑の中の雨蛙を描き出す。とはいえ、句の焦点は「雨蛙」よりも「青世界」にあり、「雨蛙」は「青世界」に精彩を加えるための点景と言っていい。草木を濡らして時折通り過ぎる雨の音も聞こえてきそうな作品だ。『俳句』2023年8月号。