滴りは、崖や岩膚の裂け目から滴々と零れ落ちたり、苔を伝い落ちる清冽な点滴のことで、涼感を誘うことから夏の季語になっている。
掲句は、滴りを「考える玉」と把握したところが面白い。ゆっくりと膨らんでは落ちる雫を凝視しての発想だろう。滴々と落ちる滴りの雫が、思慮深げな光を放っているように見えてきたのだ。しばらくの間、夏の暑さを忘れることができそうだ。『俳句界』2023年9月号。
滴りは、崖や岩膚の裂け目から滴々と零れ落ちたり、苔を伝い落ちる清冽な点滴のことで、涼感を誘うことから夏の季語になっている。
掲句は、滴りを「考える玉」と把握したところが面白い。ゆっくりと膨らんでは落ちる雫を凝視しての発想だろう。滴々と落ちる滴りの雫が、思慮深げな光を放っているように見えてきたのだ。しばらくの間、夏の暑さを忘れることができそうだ。『俳句界』2023年9月号。
暑い夏だからこそ涼を求める。暑さの最中で一瞬でも味わえる涼気に、命がよみがえる思いがする。
掲句は水族館、学校のビオトープ、縁日の金魚掬い、自宅の水槽など、さまざま場面を自由に想像できる作品。いずれにしても、小さな魚を目で追っていて、目玉に涼しさを感じたのだ。目玉に涼気を感じたというのが、作者独自の把握。『俳句』2023年9月号。
夏の富士は、雪が消えて山膚を現した富士。山開きは7月1日。これより登山シーズンとなる。
掲句は夏の富士を擬人化した作品。少し離れて佇む作者に、富士が、胸ぐらに飛び込んで来いと呼びかけているのだ。掲句のよろしさは、大胆な擬人化により雄渾な夏富士の姿が見えてくるところ。表面的な写生では得られない富士の雄姿が、一読、立ち現れる。『俳句』2023年9月号。
稲が穂に綿毛のような花をつけるのは初秋の頃。まだ暑さが厳しいが、秋の気配も少しずつ感じられてくる。開花時間は2、3時間で、その間に風によって受粉が行われる。人目につかない密やかな光景だが、その年の米の出来高と直結する植物の営みだ。
掲句は、「稲の花」のそうした風情が活かされている作品。真昼間に稲を吹く風は、夏から秋への確かな季(とき)の歩みを感じさせる。風のこゑや地のこゑには、豊作への人々の祈りも込められているようだ。『俳句』2023年9月号。
銀杏はイチョウの種子のこと。晩秋の頃、イチョウの実は熟して落ちる。多肉質の外皮を除いて、白くて固い木質の殻を割り、中の胚・胚乳を食べる。そのまま焼いてもいいし、茶碗蒸しに入れるのも美味しい。
銀杏も秋の季語だが、掲句は月の句。眼前の澄み切った月を「剥きたての銀杏」に譬えたところが新鮮だ。月を眺めていて、やや青みがった銀杏の美しい色合いを思い起こしたのは、作者にも銀杏を剝いて料理した経験があるからだろう。日常のどのような経験も俳句の肥やしになることを、この句を読んで改めて認識する。『俳句』2023年9月号。