秋の日は、秋の一日にも、秋の太陽の光にもいう。秋の前半は依然として強い光で地上を照り付けていた太陽も、秋が深まるにつれて徐々に高度を下げ、日差しが柔らかになってくる。
掲句は秋の日差しを「莞爾(かんじ)と」と形容したことがポイント。「莞爾」は、にっこりと笑うさま、ほほえむさまを表す。夏の頃の烈日が、ようやく人に優しい笑みを投げかける「秋の日」になったことへの安堵感が窺える。同じ意味だが、〈にっこり笑う〉と表現したのでは俗に落ちるところだ。令和3年作。『時の影』所収。
秋の日は、秋の一日にも、秋の太陽の光にもいう。秋の前半は依然として強い光で地上を照り付けていた太陽も、秋が深まるにつれて徐々に高度を下げ、日差しが柔らかになってくる。
掲句は秋の日差しを「莞爾(かんじ)と」と形容したことがポイント。「莞爾」は、にっこりと笑うさま、ほほえむさまを表す。夏の頃の烈日が、ようやく人に優しい笑みを投げかける「秋の日」になったことへの安堵感が窺える。同じ意味だが、〈にっこり笑う〉と表現したのでは俗に落ちるところだ。令和3年作。『時の影』所収。
浴衣は通常寛いで着る夏の家庭着だが、浴衣掛けで盆踊りなどに出かける人も多い。旅先でも寛ぐときも大抵浴衣着だ。
掲句は「日本語教室ボランティア 四句」との前書きがあるアメリカ滞在中の作品。この夏初めて自ら身にまとった藍浴衣を指さして、日本語教室の生徒たちに「これが日本の青」と説明したという。確かに浴衣の藍色は、日本人の我々にとって、郷愁を誘われるような古来からの色合いであり、「日本の青」と言っていい。さり気ない場面の中に、外国人との交流の機微が捉えられている。『俳句』2023年9月号。
白玉は喉越しがよく見た目が涼し気な夏の食べ物。白玉あんみつ、白玉ぜんざいなどは、甘味処の定番メニューだ。
掲句は和風喫茶や甘味処での光景を切り取った作品。店内で向かい合って白玉を食べながら商談しているらしい二人連れの客。隣の席で彼らの話を聞くともなく聞いていると、態度や話ぶりから、この商談が駄目らしいことが赤の他人の作者にも分かったという。スナップショットのような軽い作品だが、その軽さが白玉の趣とどことなく照応していて面白い。『文藝春秋』2023年9月号。
揚羽蝶にはキアゲハ、クロアゲハ、カラスアゲハなどがあり、夏の激しい日差しの中や木立の中で飛ぶ様には躍動感がある。
掲句は、映画の字幕の裏側を揚羽蝶が通り過ぎたという、映画の中の一コマとも読めるが、おそらくは作者の幻想だろう。揚羽蝶には異界から来たような妖しい雰囲気があり、そのイメージが掲句の内容を活かしている。現実と幻想が交錯する作品だ。『俳句』2023年9月号。
月見は、陰暦8月15日の中秋の名月を賞すること。月見酒は、月見に人を招いてともに酒を飲むこと。気の置けない親しい人を招く場合も、より改まった宴席の場合もあるだろう。
掲句は、軽い風狂の気分が出ている作品。酒や料理を前に、明かりを消してともに月を愛でようというのだ。宴席の趣向の一つとして明かりを消したのかも知れないが、よりざっくばらんで親し気な雰囲気が表れているようにも思う。『俳句界』2023年9月号。