晩秋初冬に蒔かれた麦は、翌年晩春の頃には青々とした穂を出し、5、6月頃には黄熟して刈り取られるまでになる。
掲句は一面の熟れ麦を眼前にしながらの作品。熟れ麦から「空海の袈裟の色」に想念を飛躍させたところが面白い。四国や吉野の山野をめぐりながら修行したとされる空海が、ときに辿ったと思われる初夏の麦畑の光景が彷彿する。「熟れ麦は」とのやや不安定な下五の措辞も、作者の心の揺らぎを感じさせて効果的だ。『俳句』2023年10月号。
晩秋初冬に蒔かれた麦は、翌年晩春の頃には青々とした穂を出し、5、6月頃には黄熟して刈り取られるまでになる。
掲句は一面の熟れ麦を眼前にしながらの作品。熟れ麦から「空海の袈裟の色」に想念を飛躍させたところが面白い。四国や吉野の山野をめぐりながら修行したとされる空海が、ときに辿ったと思われる初夏の麦畑の光景が彷彿する。「熟れ麦は」とのやや不安定な下五の措辞も、作者の心の揺らぎを感じさせて効果的だ。『俳句』2023年10月号。
空蟬(うつせみ)は、蝉が地上に出てきて脱皮を行ったあとの殻。盛夏の頃、木の幹や草などに殻を残して、沢山の蟬が樹上に鳴きしきる。
掲句は声変わりの時期にある少年を詠んだ作。変声期は思春期でもあり、少年が青年へと成長していく一つの節目。その少年がなぜ空蟬を握り潰したのかは読者の想像に委ねられている。何らかの心の鬱屈がそうさせたとも読めるし、単なる手慰みなのかも知れない。いずれにしても、「握り潰す」との行為の激しさは、大人になろうとする一人の少年の心の波立ちを浮かび上がらせる。なお、下五の「変声期」は、「変声期の少年」を省略した俳句特有の省略法。『俳句』2023年10月号。
滴りは、崖や岩の裂け目から滴々とこぼれ落ちたり、苔をつたって落ちる清冽な点滴のことで、涼味を誘う。
掲句は、滴りの水滴が一枚の羊歯(しだ)を打って揺らしているさまを描く。表現しているのはただそれだけだが、素材と表現の単純化により、夏の真昼の一抹の涼気と静寂を表し得ている。単純化は、俳句の大事な骨法の一つ。『俳句』2023年10月号。
虹は、太陽の反対側の雨上がりの空に現れる。雨が降り続いているうちに虹が現れることもある。変わりやすい天候の日に見えることが多い。
歳時記の例句には「虹の橋」「虹の輪」などの表現は散見するが、「虹の梁」との措辞の作例はないようだ。「梁」は家の棟をささえる横木のことで、「はし」「かけはし」との意味もあるので、「虹の橋」と同様の意味合いと取っていいだろう。掲句は、雨上がりの空高く立つ虹を一羽の鳥が風切羽を見せてくぐっていったとの句意。風切羽(かざきりばね)は鳥の翼後方に整列している一連の羽根のこと。これがないと鳥の飛翔が不可能になる翼の中でも大事な部分だ。鳥の命そのものともいえる。虹は、翔けてゆく鳥の命に華やぎを添えている。『俳句』令和5年10月号。