稲などの農作物が無事に育ち、豊かに実った収穫の秋を迎えること。無事に実りの時期を迎えた喜びを含む言葉。「豊年(ほうねん)」が、 その秋の地域全体が無事に豊かな稔りを迎えた喜びを表し、時間的・空間的な広がりがあるのに対し、「出来秋」は、目の前の田畑の実りがいよいよ形になった(上出来な秋になった)という、具体的な収穫期の景観や農作業の現場を指す言葉。「豊年」の傍題。

稲などの農作物が無事に育ち、豊かに実った収穫の秋を迎えること。無事に実りの時期を迎えた喜びを含む言葉。「豊年(ほうねん)」が、 その秋の地域全体が無事に豊かな稔りを迎えた喜びを表し、時間的・空間的な広がりがあるのに対し、「出来秋」は、目の前の田畑の実りがいよいよ形になった(上出来な秋になった)という、具体的な収穫期の景観や農作業の現場を指す言葉。「豊年」の傍題。

「夏の蝶」は夏に見かける蝶のこと。春に現れる蝶が可憐で軽やかなのに対し、夏に見かける蝶はアゲハチョウなどに代表される大型で色彩が鮮やかなもの、或いは力強く羽ばたくものが多い。単に「蝶」といえば春の季語。
掲句は、令和7年夏、シャモニー近郊のセルボ村に何泊か滞在したときの作品。セルボ村は、ヨーロッパアルプスの主峰モンブランの麓、シャモニー渓谷の入り口に位置する落ち着いたのどかな村である。渓谷に入ると、アルプスの山塊が間近に迫り、雪や氷河を頂く山々が、「高嶺(たかね)」と称するに相応しい角度で仰がれた。傍らの草叢や木叢を大型の蝶が飛び巡っていた。令和7年作。
夕凍みの聳ゆる暗さ甲斐の国 直人
「夕凍み(ゆうじみ)」は、冬の寒さが夕暮れ時にますます厳しくなり、水や地面、空気などが凍りつくような、又は冷え込んで引き締まるような様をいう。日没の夕暮れにかけて、一段と冷え込みが増してあたりが凍りついたり、張りつめた寒さに包まれたりする。「凍る」の傍題。
掲句は、作者が定住する真冬の「甲斐の国」を詠んだ作品。甲府盆地の冬は寒さが厳しい。四囲の山から冷たい空気が盆地の底へ流れ込み、いったん流れ込んだ冷気は盆地の底に溜まって逃げ場がないためと言われる。故郷特有のその手強い寒さを、作者は、「夕凍み」が、八方の山々のように暗く聳え立っていると感受した。「夕凍み」は、そこに住む者には避けられない山国の風土の一面であり、他方では、寒暖差の激しい気候が葡萄などの果樹栽培に適しているというメリットもある。それやこれやを含めて受け入れるのが、故郷に定住・土着するということ。昭和51年作。『日の鳥』所収。
陰暦9月9日の節句。新暦では10月頃に当たり、菊の節句ともいう。古代中国の陰陽道で縁起が良いとされる奇数(陽数)の最大値(9)が重なる日であることから「重陽」と呼ばれる。江戸時代に定められた五節句(人日・上巳・端午・七夕・重陽)の一つ。長寿を願って、菊の酒を飲み、高きに登るなどのならわしは、中国から伝わり、宮中の行事として親しまれた。

フランスでは、一ケ月余りの間に、パリ近郊、ノルマンディ、ブルターニュなどの5か所のホテルを転々とした。その間オーナさんら人との出会いもあったが、動物たちとの出会いも忘れられない。
ノルマンディのホテルで、いつも夕刻になると戸口に挨拶に来たテリア系のワンちゃん。オーナー一家の生活のリズムもあってか、いつも午後7時過ぎの定刻に戸口に現れた。私たちは夕食の時間で、窓ガラス越しにワンちゃんに声をかけた。焼き物やスープの匂いを嗅ぎつけて来ていたのかも知れない。

ここのオーナーは、広大な敷地を利用して競走馬や乗馬用の馬のブリーダーを生業としている人たちだった。ヨシダと名乗る日本人が遥々馬を買い付けに来たこともあったという。朝、目覚めると窓から馬の姿が見え、窓を開けると干草の香りに包まれた。干草の中に、香りの高いハーブ系の草が混じっているのだろう。
次の写真は私が牧柵に近づいたとき、馬たちの方でも挨拶に来てくれた時の一枚。どの馬も人懐こく好奇心に溢れた様子でこちらを窺っていた。生業として飼われている馬なのだが、日頃からオーナー一家に大切に扱われているのだろう。

牧場には、母馬から離れたばかりの仔馬や若駒も飼われていた。若駒たちは、私たちが近づくと、怯えたように人から離れて、縋り合うように群がっていた。若駒同士の強固なコミュニティが形成されているのだ。

ロワールのホテルでは、柵越しに羊たちと親しんだ。次の写真は、横顔を見せているサフォーク種の羊。どこかキリストの面影のある思慮深そうな目で、起き出してきた私を見つめた。肉用種として広く飼育されている羊だが、実際にオーナー一家が肉用として飼っていたのかどうかは分からない。ペットとして、或いは、牧草地や空き地の除草を兼ねて飼っていたのかも知れない。オーナー夫婦は平日は地元の図書館などに勤めていて、週末になると、半裸のオーナーと子息が、普段は羊の水飲み場になっている池に来て、釣や水浴びを愉しんでいた。

ある朝、日が昇るとともに動き出した羊たちを撮った一枚。ルージュ・デュ・ルシヨンという品種の赤褐色の毛色の羊もいた。フランス原産の希少な羊の一つである。折から日照り続きで、からからに乾いた地面に草が辛うじて生えているような状態だったが、羊たちは特別の餌も与えられずに、地べたの草を食べて健気に暮らしていた。

ロワールのホテルへの道沿いに、チーズ生産農家が山羊の仔を飼育していた。今年生まれた仔山羊らしく、ほっそりした首を並べ、せっせと干草を食べていた。そこの売店で、私たちは山羊のチーズ(Fromage de chèvre)を複数買い、ホテルに帰って食べ比べをした。私が好んだのは比較的熟成が浅いもので、爽やかな酸味がして、雪のように口に溶けた。山羊のチーズは、牛乳のチーズよりも歴史が古いそうだ。

締め括りは猫。最後に泊まったフォンテーヌブローのホテルでは、オーナーが飼っている2匹の猫と親しんだ。玄関の戸を開けるとミャーミャー鳴きながら、室内に入ろうとするので、戸外に誘き出すのに苦労した。

ペットは、フランス語ではanimal de compagnie、直訳すると〈同行(同伴)の動物〉〈伴侶動物〉という意味になり、家族やパートナーとしてのニュアンスが含まれる言葉である。旅行中接したペットや牧場の馬たちの屈託ない仕草や伸びやかさは、私たちの長旅の疲れを癒してくれた。フランス人にとってペットなどの身近な生き物は、単なる愛玩動物ではなく家族の一員であり、生活を共にするパートナーなのだろう。