夏茱萸は晩春に花が咲き、初夏に実をつける。赤色に熟した実を口に入れるとほのかな甘みがある。太平洋側や四国の山地にごく普通に生えている落葉低木。
掲句は、初夏に実をつけた夏茱萸に、とどまらぬ月日の流れを感じてできた一句。昨年も一昨年も山歩きの途中で見つけては食べていた夏茱萸。季節が巡ってきて、その実が今年も熟れて食べ頃になっている。そのひそやかな紅色は、過ぎ去った月日のあれこれを思い起こさせる。令和5年作。
夏茱萸は晩春に花が咲き、初夏に実をつける。赤色に熟した実を口に入れるとほのかな甘みがある。太平洋側や四国の山地にごく普通に生えている落葉低木。
掲句は、初夏に実をつけた夏茱萸に、とどまらぬ月日の流れを感じてできた一句。昨年も一昨年も山歩きの途中で見つけては食べていた夏茱萸。季節が巡ってきて、その実が今年も熟れて食べ頃になっている。そのひそやかな紅色は、過ぎ去った月日のあれこれを思い起こさせる。令和5年作。
「蝉の羽化」は「蝉生る」(夏季)の傍題として扱っていいだろう。蝉の幼虫は、何度か脱皮を繰り返した後、地中から出て、翅のある成虫になる。羽化したては白っぽく翅も縮れているが、やがて我々の見知っている蝉の姿になる。
掲句は、何年か前、長野の山中で偶然蝉の羽化を見る機会があって、その青白い微光を纏った姿が目に焼き付いていてできた作品。その蝉に月明かりが差していたかどうかは、記憶が定かでないが、確かに蝉の命の誕生を祝福するような清らかな光だった。明け方の山中の冷気が辺りを包んでいたように思う。令和4年作。
南風は夏に吹く南寄りの風。南風といえば、穏やかな晴天を吹くやや湿った風をイメージする。
掲句は、当時壮年の働き盛りで、しかも人に言えない悩みを密かに抱えていた時期の作品。上五の「南風や」から、心を解き放つ広々とした海原を思い浮かべてもらいたい。何ら具象的な描写が無く、願望を述べただけの作品だが、心の記念碑として、ときにはこんな作品があってもいいと思っている。平成22年作。
鮎は春から初夏にかけて日本全国の川を遡上する。それぞれの川に鮎釣りの解禁日があり、解禁になると多くの釣り客が鮎釣りを楽しむ。鮎は年魚といわれるように、生まれてから1年で生涯を閉じることが多く、解禁の頃の鮎はまだ小振りだ。俳句では鮎は夏の季語。
掲句は多摩川上流の木道を散策したときの作品。夜から未明にかけて降った雨の名残で、川は水量が多くやや濁っていたが、既に雨雲は去り、まだ太陽は顔を出していないものの絶好の釣り日和になりつつあった。未明から釣り糸を垂らしている何人かの姿が岩陰などに見えた。この句から、夏の明け方の心地よい冷気を感じ取ってもらえれば幸いだ。平成22年作。
朝のうちや午後、傾いた太陽が町中の通りや家の周囲に片蔭を作る。片蔭は、直射日光が届かないので、暑さの最中でもほっとできる場所だ。俳句では夏の季語。
掲句は、町中で見掛けた光景を句にしたもの。道を歩いていた女性が、それまで大事そうに提げていた荷物を町中の片蔭に置いて小休止していた。その荷物は布で覆ってあったが、どうやら猫を入れた籠らしかった。その籠を、日向を避けて片蔭に置いたところに、猫に対する優しい心遣いが表れているように思った。平成16年作。『河岸段丘』所収。