竹は初夏の頃、新しい葉を出し、黄ばんだ古い葉を落とす。音もなく降りしきる竹の落葉に、かすかに竹の葉擦れの音が交じる。掃いても掃いてもきりがないほどだ。「落葉」は冬の季語だが、「竹落葉」は夏の季語。葉を落とした竹は、秋には瑞々しい緑となる。
掲句は、竹落葉を浴びながら、日々作っては捨てる自作のことを思っての作品。とある寺の境内の午下の静寂の中で、竹落葉の一片、一片が、日々詠み捨てる詩句の欠片のような錯覚を覚えた。平成25年作。
竹は初夏の頃、新しい葉を出し、黄ばんだ古い葉を落とす。音もなく降りしきる竹の落葉に、かすかに竹の葉擦れの音が交じる。掃いても掃いてもきりがないほどだ。「落葉」は冬の季語だが、「竹落葉」は夏の季語。葉を落とした竹は、秋には瑞々しい緑となる。
掲句は、竹落葉を浴びながら、日々作っては捨てる自作のことを思っての作品。とある寺の境内の午下の静寂の中で、竹落葉の一片、一片が、日々詠み捨てる詩句の欠片のような錯覚を覚えた。平成25年作。
「浴衣」は、外出用のものもあるが、普通はくつろいで着る夏の家庭着。旅館の客室には、たいてい糊の利いた浴衣が用意されている。温泉に浸かった後浴衣に着替えると、心の底から旅の解放感を覚える。
掲句は、句友4、5人と木曽福島に一泊したときの作品。八方を取り囲む山々は既に暮れ切っていたが、山々の存在を確かに感じながらの旅泊だった。目には定かに見えないものの存在感が、掲句から感じ取れれば幸いだ。平成21年作。『春霙』所収。
「瀧(滝)」は、垂直に切り立つ断崖を流れ落ちる水のこと。瀧を前にした涼味は、夏ならではの醍醐味だ。
掲句は、長野の山中の瀧を訪れての作品。折からの雨が上がったところで、水量が豊富な瀧が轟轟と音を立てて飛沫をとばし、辺りの物音をかき消す程だった。「瀧口」からは途切れなく水が落下していたが、その音が辺りの木々の緑に吸い込まれるような錯覚を覚えた。平成21年作。『春霙』所収。
「袋掛」は、林檎、梨、桃、枇杷などの栽培で、果実を鳥や病虫害から守り、外観を美しく保つため、紙の袋を掛けること。摘果の後、実の一つ一つに袋を掛けるのは、根気の要る作業だ。
掲句は、山梨県勝沼の葡萄畑での作品。行けども行けども左右は葡萄棚で、棚の奥の方で夫婦らしい二人が黙々と袋掛けをしていた。青々とした葡萄の葉を零れてくる日が、作業をしている人の肩や腰に差して揺らめいていた。平成20年作。『春霙』所収。
「茄子」は、インド原産のナス科一年生の野菜。どんな食材と取り合わせても順応する癖のない味わいとなめらかな食感が特徴で、煮物、焼茄子、天ぷら、炒め物、漬物など様々な調理法がある。最もポピュラーな夏野菜の一つ。
茄子には、紫紺色だけでなく白や緑のものもあるが、掲句からは、畑に栽培されている紫紺色の茄子を想像して欲しい。日暮れどきの茄子畑の辺に佇んでいて、自らの来し方・行く末を漠然と思っていた。既に人生の中盤を過ぎようとしているとの思いもあった。平成18年作。『春霙』所収。