蕗の薹は、楤の芽や独活、こごみなどと並んで、早春を代表する山菜の一つだ。「蕗味噌」は、蕗の薹を刻んで味噌等を加えて混ぜ、火にかけて作る。早春の味わいそのもののその風味を、酒の肴として味わうのもいい。齢を重ねるにつれて、蕗味噌の苦みが苦手でなくなったのは、私だけではないだろう。
掲句は、近年ことに好ましく感じるようになった「蕗味噌」の苦みを表現しようとしてできた作品。ポイントは、味覚を「うすむらさき」という視覚に訴えるものとして表現したことの成否だろう。令和5年作。
蕗の薹は、楤の芽や独活、こごみなどと並んで、早春を代表する山菜の一つだ。「蕗味噌」は、蕗の薹を刻んで味噌等を加えて混ぜ、火にかけて作る。早春の味わいそのもののその風味を、酒の肴として味わうのもいい。齢を重ねるにつれて、蕗味噌の苦みが苦手でなくなったのは、私だけではないだろう。
掲句は、近年ことに好ましく感じるようになった「蕗味噌」の苦みを表現しようとしてできた作品。ポイントは、味覚を「うすむらさき」という視覚に訴えるものとして表現したことの成否だろう。令和5年作。
「蓴」(ぬなわ)、「蓴菜」(じゅんさい)は沼などの水面に葉を浮かべる水草の一種。 茎から出る新芽はゼリー状のぬめりで覆われており、吸い物や酢の物の食材となる(夏の季語)。
掲句は、職場の送別会で、宴が闌けた頃の気分を作品にしたもの。思えば、長い職業生活の間には、数えきれないほどの歓迎会、送別会、懇親会等があったが、目の前の料理を味わって食べることは稀だった。職場の宴席などそんなものと割り切ってしまえばいいのだろうが、宴席が、職業人としての気遣いだけに終わってしまったことに、過ぎ去ってみて一抹の寂しさもなくはない。平成21年作。『春霙』所収。
「梅」は、春になって、他の花に先駆けて咲く花の一つだ。枯れ枯れとした中に、一輪の梅が咲いたのを見出す喜びは、待ちに待った春の到来を喜ぶことに他ならない。
掲句は、春先に秩父盆地から、西に屏風のようにひろがる山々を見わたしての一句。「両神山」(りょうかみ)は秩父連山の北端に位置する山で、日本百名山のひとつ。その日は、台形の形をした荒々しい山容が、雲一つない清々しい青空のもとで、紫がかって見えた。傍らの斜面では、梅が咲き始めていた。令和5年作。
「彼岸」は、春分の日を中日として、その前後3日の計7日間を指す。「暑さ寒さも彼岸まで」と言われるが、実際は彼岸になってもそうスムーズに寒さが収まらないことは、〈毎年よ彼岸の入に寒いのは 子規〉の句にも表れている。
掲句は、築地場外市場での嘱目。男たちが塩まみれになって、鮭の鰓から縄を通す作業をしていた。折りからの寒さの中で、生き物から食材へと変貌してゆく鮭の無残な印象が心に残った。平成19年作。『春霙』所収。
単に「鵙」といえば秋の季語だが、春の営巣期に雌に求愛する鵙は、天地に向かってやさしく呼びかけるような声で鳴く。秋晴れの澄みわたった大気を貫く鵙の声とは趣が異なる。秋の高鳴きは鵙の縄張り宣言であり、越冬して春になると、自らの縄張りに留まったまま営巣期・繁殖期に入っていく。
郊外で、風の彼方にやさしく呟くような「春の鵙」の声を聞いて、春の訪れを感じたことが契機になってできた一句。冬の間は天地も風も草木も、それぞれ孤立して厳しい様相を呈していたのだが、いつしか、自然の万物も人間も相互に親しみ合う季節に入ったのだと思った。平成25年作。