蠅叩、蠅捕紙、蠅捕リボン、蠅捕瓶などの蠅を捕まえる器具や道具類は、いずれも夏の季語。蠅が人間の生活圏で目につかなくなるにしたがい、以前身近にあったこれらの諸道具も姿を消した。だが、厩や牛舎では、これらの諸道具はまだまだ活躍している。
掲句は、牧場の酪舎を覗いたときの作品。昼なお暗い酪舎の中には、出産をひかえた牝牛の暑苦しい息が充満しているように思えた。大儀そうに腹這う牛の顔や尻尾に、無数の虻や蠅がたかっていた。暗がりに蠅取リボンが垂れていた。平成22年作。
蠅叩、蠅捕紙、蠅捕リボン、蠅捕瓶などの蠅を捕まえる器具や道具類は、いずれも夏の季語。蠅が人間の生活圏で目につかなくなるにしたがい、以前身近にあったこれらの諸道具も姿を消した。だが、厩や牛舎では、これらの諸道具はまだまだ活躍している。
掲句は、牧場の酪舎を覗いたときの作品。昼なお暗い酪舎の中には、出産をひかえた牝牛の暑苦しい息が充満しているように思えた。大儀そうに腹這う牛の顔や尻尾に、無数の虻や蠅がたかっていた。暗がりに蠅取リボンが垂れていた。平成22年作。
夏野といえば、猛々しく草が生い茂る広々とした野原と真っ青な空、湧き立つ雲の白さが思い浮かぶ。夏野はまた人里に通う大地であり、放牧や草刈りなど人々の生活に結びつく場でもある。
掲句は高麗の巾着田での作品。耕作地の隣に馬場があり、競走馬を退役したような栗毛や葦毛の老い馬が何頭か飼われていて、棒杭に縄で繋がれて草を食んでいた。馬場といっても客はほとんどおらず、私が佇むと不審そうに私の方を見ては、不機嫌に鼻を鳴らした。折から日照雨が辺りの草を鳴らして通り過ぎて行った。平成18年作。『春霙』所収。
暑い夏は涼しさに敏感になり、涼しさを求めることから、「涼し」は夏の季語になっている。と同時に、「月涼し」「星涼し」「涼風」「朝涼」「晩涼」など、月や星や朝晩の涼しさを楽しむ。いずれも夏の季語だ。
掲句は、父母が健在だった頃、家人が寝静まった夜半に一人起きていて、ふと思い浮かんだ作品。二階の部屋にいて、しんと寝静まった階下の父母の部屋に耳を澄ませた。いつしか、父母は老境に、私は壮年の働き盛りになっていた。平成10年作。『河岸段丘』所収。
「明易し」は「短夜」の傍題。夏の夜の短さを惜しむ心に重きが置かれている季題だ。夜が明け白んでくる安堵感と名残惜しさが入り交じる。夜が明けても、心はゆらゆらと夜と朝の間を漂う。
掲句は、美術館に展示されていた空也上人絵伝が契機になってできた作品。空也上人(903~972)は、日本で初めて称名念仏を実践した高僧。絵伝は、その生涯を、連続する絵と詞書によって示したもの。野ざらしの髑髏を供養する空也上人の姿を描いた絵もその中にあった。人の一生の儚さということを、不意に突き付けられたような気がした。平成14年作。『河岸段丘』所収。
行々子(ぎょうぎょうし)は葭切のこと。初夏に日本各地の川原や湖沼などの葦原に飛来し、繁殖期の間、オスはギョッギョッと騒がしく囀る。関東平野でもよく見かける鳥だ。
掲句は、戦国時代に水攻めが行われた忍城(おしじょう)跡での作品。城の水攻めといえば、備中高松城が有名だが、豊臣秀吉の小田原征伐に際して行われた忍城の水攻めも、知る人ぞ知る戦国時代の事跡だ。忍城は豊臣方の水攻めには耐え抜いたが、明治時代には廃城となり、土塁の一部を残して取り壊された。現在は公園となり、外堀や土塁の一部が当時の地形をとどめているに過ぎない。折から辺りの葦原で、暑苦しい声で葭切がしきりに鳴いていた。平成16年作。『河岸段丘』所収。