「末黒」は、野焼きの後、草木が黒く焦げて残っている野のこと。害虫駆除や葭などの芽吹きを促すために、畦や堤、河川敷の野焼きが行われる。最近は、野焼きを禁止する自治体も多くなっているようだ。
掲句は、山梨の廣瀬直人先生(当時「白露」主宰)のお宅を訪問する前に、近くの日川の河川敷を句友と散策した時の作品。堤を越えて河川敷に足を踏み入れると、数日前に野焼きが行われたことが一目で分かるような、「末黒」の光景が広がっていた。日川は、焼野の真ん中を流れる清冽な一条の流れとして、目の前に現れた。平成22年作。
「末黒」は、野焼きの後、草木が黒く焦げて残っている野のこと。害虫駆除や葭などの芽吹きを促すために、畦や堤、河川敷の野焼きが行われる。最近は、野焼きを禁止する自治体も多くなっているようだ。
掲句は、山梨の廣瀬直人先生(当時「白露」主宰)のお宅を訪問する前に、近くの日川の河川敷を句友と散策した時の作品。堤を越えて河川敷に足を踏み入れると、数日前に野焼きが行われたことが一目で分かるような、「末黒」の光景が広がっていた。日川は、焼野の真ん中を流れる清冽な一条の流れとして、目の前に現れた。平成22年作。
手元の歳時記では「鳥の巣」「鷹の巣」は春の季語、「巣立鳥」「巣立」は初夏の季語になっている。掲句の「雀鷹育つ」は、巣立つ前の雀鷹の雛鳥を詠んだものなので、「鷹の巣」の傍題と考えたい。
雀鷹は、日本のタカ類で最小の鳥。雌は30センチ程で、雄は雌より少し小さい。関東近辺では3~4月に南方から渡ってきて低山の林で繁殖し、主に小鳥を捕食する。住まいの近くを散策していると、雑木林の中の道を通るたびに、この鳥の声を耳にした。春も深まった頃で、営巣の真っ最中だったのだろう。櫟や小楢は一斉に芽吹くと、ぐんぐん葉を広げて日に日に林の中は暗くなっていった。令和3年作。
「春隣」には、長い冬を経て、待ち望んでいた季節がやっと到来するとの期待感があるが、「夏隣」には、到来する季節に対する心弾むような期待とともに、暑さの厳しい季節を前にした緊張感も交じるようだ。
銀座のとある画廊で見掛けた一枚の油絵が契機になっている作品。桜島が画面いっぱいに描かれていた絵だったと記憶する。その色彩や筆致のもつ躍動感に、一見して夏の到来を感じた。万物にエネルギーの満ち溢れる夏がすぐそこまで来ていた。こちらも、夏に負けないよう、気を引き締めて待ち受けなければなるまい、と思った。平成31年作。
冬の間、凍てついた空から冷徹な光を投げかけていた月は、春めいてくるにつれて、光をやわらげ、潤いを帯びて中天にかかる。
掲句は、仲春の頃、林や湖畔を歩きながら月を振り仰いでの作。林中では、芽吹きが始まっている木々の梢も月もどことなくけぶって見えたが、湖畔に出ると、すっきりと澄んだ月が仰がれた。見上げる場所によって、月が色々な表情をみせることに、興味を持った。平成31年作。
「陽炎」(かげろう)は、麗らかな春の日差しの中で、野中のもののかたちが揺らいで見える現象。空気の層によって温度差が生じ、光が屈折することから、人の目にものが揺らいで見えるのだ。陽春の気分をたっぷり含む季語だが、人の知覚の不確かさ、ひいてはこの世に存在するものの不確かさを暗示する言葉でもある。
掲句は、とある博物館で展示されていた火焔型土器のレプリカを見ていてできた作品。火焔型土器は、縄文土器の一種で、 燃え上がる炎を象ったかのような形状の土器。外光の差し込まない博物館の一室にいて、ガラスケースの中に置かれたその土器を前にして、ふと戸外の麗らかな日差しを思い浮かべ、そのような日差しの中で煮炊きしている縄文人たちを想像した。平成28年作。