2月25日は、戦後の俳壇において森澄雄とともに伝統俳句の中心的存在として活躍した飯田龍太の忌日。依然として寒さは厳しいが、咲き始めた梅に、待ちに待った春の到来を実感する時季でもある。
昼休みに公園の梅を眺めていると、折りからの日差しに誘われたように花虻がどこからか現れて、疎らに咲いた白梅に纏わるように飛びはじめた。空は深々とした碧ひと色。龍太が〈白梅のあと紅梅の深空あり〉と詠んだあの「深空」(みそら)だ。「龍太忌の深空」との措辞は、そのとき即座に思い浮かんだのだった。平成28年作。
2月25日は、戦後の俳壇において森澄雄とともに伝統俳句の中心的存在として活躍した飯田龍太の忌日。依然として寒さは厳しいが、咲き始めた梅に、待ちに待った春の到来を実感する時季でもある。
昼休みに公園の梅を眺めていると、折りからの日差しに誘われたように花虻がどこからか現れて、疎らに咲いた白梅に纏わるように飛びはじめた。空は深々とした碧ひと色。龍太が〈白梅のあと紅梅の深空あり〉と詠んだあの「深空」(みそら)だ。「龍太忌の深空」との措辞は、そのとき即座に思い浮かんだのだった。平成28年作。
「魚氷に上る」は七十二候の一つで、立春の第三候。2月の中旬頃に当たる。暖かさでそれまで張り詰めていた氷が割れ、魚が氷の上に躍り出るという。多分に空想を含んだ季語だが、空想だけではない、実景の裏付けが感じられる。ワカサギ釣りなどでは、こうした情景を目にすることもあるのではないか。氷の上に跳ねる銀鱗は眩いばかり。折りから吹き過ぎる風の光も、明るさと冷たさを同時に感じさせて早春のものだ。
掲句は、この季語が描き出す情景をあれこれと想像していて生まれた作品。時々訪れる長野の結氷湖の光景も、その時思い浮かべていたと思う。平成22年作。
「桜東風」は、桜が咲く頃に吹く東寄りの風のこと。この時季、気温のアップダウンはあるが、肌に触れてくる風の柔らかい感触はやはり春のものだ。そして、どこを歩いても、間近に、また、遠方に咲く桜が目に入らない場所はない。風そのものが、桜の明るさを帯びているようにも思える。
掲句は、母に付き添って病院に連れて行ったときの作品。日頃は妻が付き添うのだが、その日はたまたま私が病院まで一緒に歩いて行った。手をつなぐのは照れ臭かったので、私が前を歩き、ときどき遅れてくる母を振り返った。途中満開の桜が、やや強めの風に花びらを飛ばしていた。その時は、半年後、母がこの世を去るとは、思ってもみなかった。平成31年作。
「摘草」は、春、野に出て蓬、芹、土筆、蒲公英などを摘むこと。「野遊」「踏青」などと並んで、春の季語になっている。食材として、蓬や土筆を摘む機会は、一般的には減ってしまったが、屋外で春の解放感を満喫することができる。取り立てて目的もなく、地面に萌え出たばかりの蓬を摘んで、やわらかな風の中で指についた匂いを嗅ぐ。佳き季節の到来を実感する一瞬だ。
かつて気ままに「摘草」をした時のことを思い浮かべながら、掲句を最初にノートに書き留めたときは、別の山の名だった。ある時ふと思い付いて「武甲山」(ぶこう)に書き替えた。「武甲山」は埼玉県秩父地方の山で、秩父盆地の南側に聳つ。身近にあるこの山に対する愛着が、この句の根っこにあるのかも知れない。「郭公」の井上主宰には、「その地に暮らす人の意志的な思いが籠められているだろう。」と鑑賞していただいた。令和3年作。
今年も、町を出はずれると、雲雀の声が聞かれる季節になった。雲雀には、広々とした大きな空がよく似合う。と言っても、近年は、郊外を散歩していても、雲雀を見かけることは大分少なくなった。人間の活動が郊外の土地の隅々にまで及んで、雲雀の生息する余地が減ってしまったのだ。残念なことである。
掲句は、長野の野辺山高原での作品。標高1400メートル。雲雀の声に誘われて道路脇の牧場に踏み入ると、足の裏に応えてくる土の弾力に、春の到来を感じた。冬の間雪に覆われていた地面も顔を出して、たっぷりと日差しを浴びている。そろそろ農作業が始まる時季だ。廣瀬直人主宰が『白露』誌上で褒めてくれたことが今でも忘れられない。平成8年作。『河岸段丘』所収。