冬の寒気が去ると、氷っていた水は解け出して、日差しの中をきらめきながら流れる。早春の頃の水には刺すような冷たさがあるが、春が深まるにつれて温んできて、諸々の命を育む「春の水」となる。


冬の寒気が去ると、氷っていた水は解け出して、日差しの中をきらめきながら流れる。早春の頃の水には刺すような冷たさがあるが、春が深まるにつれて温んできて、諸々の命を育む「春の水」となる。


茶摘みの最盛期は、ゴールデンウィークを挟んで前後の1~2週間。その頃摘んだものが一番茶で、俳句で「茶摘時」といえばその時期を指す。新芽が出る頃の茶畑は、萌黄の絨毯を敷き詰めたように美しい。その明るさの中を、四、五人の茶摘女たちが、向かい合いながら黙々と摘み進んでいく。茶園の生垣に新茶の幟が立つのもその頃だ。ただ、近年は、一部の高級茶を除いて、機械刈りが一般化してしまったので、かつての茶摘みの光景を目にすることは稀になった。また、かつては一番茶の後、6月下旬から7月上旬に二番茶、7月下旬から三番茶が摘まれていたが、近年は廃れてしまった。

桜の散っていく様は、日本人の美意識に訴えるところがある。花吹雪の中で、心は日常から離れ、万物が生滅を繰り返すこの世のことを思っている。そして、一つ一つの花びらは、天地の流転の中に投げ込まれる。水に散った花びらは忽ち流れ去って眼前から消えるし、地に散った花びらは、そこに散り溜まったり、風に吹き寄せられたりする。地に溜まっていた花びらも、数日の間に土に還って目につかなくなる。


立夏が近づくと、桜、山吹、藤など、春咲く花々の大方は散り尽くし、山中は葉を広げる木々に遮られて日ごとに暗くなってくる。その一方で、青空のもとでの日差しの眩しさは、確実に季節が夏に向かっていくことを感じさせる。街を歩く人々の服装も、季節を先取りするかのように軽装になり、街中をからりと乾いた風が吹き抜ける。

豌豆(えんどう)はマメ科の一年草又は二年草。ヨーロッパ原産で、多くは蔓性。春、赤紫色又は白色の蝶形の花をつける。花の後できる若い莢は「絹莢」、豆は「グリーンピース」として食し、いずれも初夏の季語。豌豆の花は、春になるとどこにでも見掛けるありふれた花だが、赤紫も白も、郷愁を誘うような人懐かしさがある。
下の写真は、近所の菜園で撮ったもの。豌豆の白花も盛りを過ぎて、瑞々しい莢が次々とできている。絹莢として油炒めなどにすると、朝食の一品になりそうだ。
