「炎天」は夏の太陽が座を占めて、焼け付くような空のこと。赫灼と照る太陽に輝く空は燃えるばかり。
掲句は、炎天を捲(めく)ると、「大笑面(だいしょうめん)」が現れるだろうとの句意。「大笑面」は「暴悪大笑面」のことで、十一面観世音菩薩像が頭部に戴く11面のうち、背後に向けて破顔している面を指す。悪や悪行に対する怒りを通り越した笑いを表現しているという。「大笑面」も折りからの厳しい暑さを笑い飛ばそうとしているかのようだ。『俳句』2025年8月号。
「炎天」は夏の太陽が座を占めて、焼け付くような空のこと。赫灼と照る太陽に輝く空は燃えるばかり。
掲句は、炎天を捲(めく)ると、「大笑面(だいしょうめん)」が現れるだろうとの句意。「大笑面」は「暴悪大笑面」のことで、十一面観世音菩薩像が頭部に戴く11面のうち、背後に向けて破顔している面を指す。悪や悪行に対する怒りを通り越した笑いを表現しているという。「大笑面」も折りからの厳しい暑さを笑い飛ばそうとしているかのようだ。『俳句』2025年8月号。
ソーダ水は清涼飲料水のこと。炭酸水に砂糖や果汁を加えたすっきりとした飲み物。クリームソーダ、メロンソーダなど種類もいろいろ。
掲句は、暑さの最中、ソーダ水の入った瓶の栓を抜いたところだろう。栓を抜くと同時に、中の炭酸水が勢いよく噴き出す。夏の屋外などで日常よく目にする光景だが、その光景を目にしたとき、作者は、今年(令和7年)が昭和になって百年目に当たることに心づいた。昭和に改元して以降経てきた歳月の起伏が、一瞬のうちに作者の脳裏をかすめたのだ。『俳句』2025年8月号。
俳句で単に祭といえば都市部の神社の夏祭をさす。悪疫退散を目的とする点で、秋に田園の神社で行なわれる秋祭(収穫祭)とは趣が異なる。山車や鉾、神輿などの巡行がある。
掲句は女の子を乗せた「祭馬」を活写した作品。古くから馬は神様の使いとして扱われ、祭行事の一つとして、馬を神馬(しんめ)として神社などに奉納する習わしも多い。掲句はその「祭馬」が興奮して、「姫」を乗せているのも忘れて足で地面を激しく踏み鳴らしたという。「祭馬」を昂らせ、周りの雰囲気に巻き込む祭の盛り上がりが目に浮かぶ。『俳壇』2025年8月号。
「別れ雪」は春を迎えて、その年の雪の降り納めのこと。旧暦2月15日頃に降ることが多いことから「涅槃雪」ともいい、その他「忘れ雪」「名残の雪」などの言い方もある。
掲句は降り納めの雪を熱いと感受した作者の驚きが表出されている作品。本来冷たいものである雪が頬に触れたとき、それを熱いと感じたのは、作者の内なる命の充実の故だろう。いよいよ本格的な春に向かってゆく期待感に、今年の雪の名残を惜しむ思いが交錯する。『俳句』2025年7月号。
「涼し」は夏の暑さの中で思いがけず覚える涼しさのこと。水辺や木陰で肌に感じる涼しさもあれば、目や耳で感受する涼味もある。秋になってから感受する本格的な涼しさは「新涼」、「初涼」といい区別する。
掲句は胸元に吊る「ペアリング」から涼しさを感受しての作品。「ペアリング」は恋人同士がペアで身につけるお揃いの指輪のことだが、ときにはネックレスにして胸元に吊ることもある。この句の対象は作者の家族や知己であっても、通りすがりに見かけた光景であってもいいが、その光景から涼しさを感受したところには、「ペアリング」をしているカップルに対する仄かな祝意もあるようだ。『俳壇』2025年7月号。