「新樹(しんじゅ)」は若葉に覆われる初夏の木立のこと。「新緑」と類似の季語だが、「新緑」は若葉の色合いのみずみずしさに、「新樹」は木の姿に焦点を当てた言葉。山や野に生命力がみなぎる季節である。
掲句は初夏の夜、ものを書こうとして万年筆を手にしての作品。丁度木々が土中から水を吸い上げるように、毛細管現象によりペン先へとインクが伝わってゆく。ペン先のインクが匂うのはこんな時だ。インクの匂いから屋外の新樹に想像を巡らせたところに、作者の若々しく柔軟な詩心が見える。『俳句界』2025年8月号。
「新樹(しんじゅ)」は若葉に覆われる初夏の木立のこと。「新緑」と類似の季語だが、「新緑」は若葉の色合いのみずみずしさに、「新樹」は木の姿に焦点を当てた言葉。山や野に生命力がみなぎる季節である。
掲句は初夏の夜、ものを書こうとして万年筆を手にしての作品。丁度木々が土中から水を吸い上げるように、毛細管現象によりペン先へとインクが伝わってゆく。ペン先のインクが匂うのはこんな時だ。インクの匂いから屋外の新樹に想像を巡らせたところに、作者の若々しく柔軟な詩心が見える。『俳句界』2025年8月号。
「夜の秋」は夏の終り頃、夜になってからの涼しさに何となく秋めいた感じのすることをいう。去りゆく夏に一抹の寂しさを感じる。
掲句は、一読、一人より二人の方が寂しいとはどういうことだろうと、一瞬立ち止まってしまった作品。常識的には一人の方が寂しさを感じると思うのだが、二人で居ることで、却って寂しさを強く感じることもあるのだろう。仮に互いに隔てのない夫婦の仲であっても、ふとそんな思いに捉えられるのが、「夜の秋」ではないだろうか。夜気に秋めいた気配を感じる夏の終わり頃の感懐である。『俳句』2025年8月号。
「原爆忌」は8月6日及び同月9日。第二次世界大戦末期の昭和20年、アメリカは8月6日広島市に、続いて9日長崎市に原子爆弾を投下した。「広島忌」「長崎忌」などともいう。
掲句は「原爆忌」「広島忌」などの既存の季語を用いずに、8月6日の広島への原爆投下を詠んだ作品。原爆犠牲者の墓に詣でたとき、目に触れるどの墓碑も、亡くなった年月日が皆同じだったという。作者は、ことごとく同じ没年月日が刻まれていることに驚き、改めて原爆投下の惨たらしさに思いを致したのだ。『俳壇』2025年8月号。
蒲公英(たんぽぽ)は花の後綿状の種子になり、風に乗って四方に散らばる。「蒲公英の絮(わた)」(春季)は蒲公英の傍題。
掲句は「旅程」を離れてゆく蒲公英の綿毛を詠む。「旅程」は作者の辿りつつある旅の道のりとでも解しておきたい。目をとめた蒲公英の綿毛が、作者の旅路から逸れて彼方へと飛び去ってゆくのだ。作者の前方に旅路が延びているように、蒲公英の綿毛も果てしない旅の途中にある。それを見送る作者の胸中の淡い旅愁も感じ取れる。『俳句四季』2025年6月号。
「雪加(せっか)」はセッカ科の鳥類で、本州以南の低地から山地の草原で繁殖し、冬期は西日本の暖かい地域に移動する。葉にいる昆虫等を捕食する。
掲句は、湿原の白骨樹(はっこつじゅ)に来て啼く「雪加」を詠んだ作品。夏の繁殖期、己の縄張りを他の仲間に知らせるために啼いているのだ。朽木の先に来てヒッヒッヒッと弾力のある声で高らかに啼く雄の「雪加」の姿が目に浮かんでくる。白骨樹といえば、風雪に晒された朽木の白々とした残骸が思われて印象深い。『俳句』2025年8月号。