「橡の実」はトチノキの実。丸く厚い殻の中に栗に似た種がある。トチモチなどにして食される。トチノキは、全国の低山の渓流沿いに分布する落葉樹。公園などにも植えられる。
掲句は実を落とした晩秋のトチノキを詠んだ作品。秋深む頃、山中のトチノキが熟れた実を落とす。実が落ちた後、雑木山は再び静まり返る。トチノキも一仕事を終えたあと、眠りに就いたようだ。今日は風もなく、雑木山は一歩ずつ冬に近づいて行く。『俳句界』2025年11月号。
「橡の実」はトチノキの実。丸く厚い殻の中に栗に似た種がある。トチモチなどにして食される。トチノキは、全国の低山の渓流沿いに分布する落葉樹。公園などにも植えられる。
掲句は実を落とした晩秋のトチノキを詠んだ作品。秋深む頃、山中のトチノキが熟れた実を落とす。実が落ちた後、雑木山は再び静まり返る。トチノキも一仕事を終えたあと、眠りに就いたようだ。今日は風もなく、雑木山は一歩ずつ冬に近づいて行く。『俳句界』2025年11月号。
「新社員」は新しく企業に入社した社員のこと。近年は転職する人も多いが、学校を卒業したばかりの、希望と不安を抱いて入社してくる初々しい「新社員」を思い浮かべたい。
掲句は4月頃街中で見かける「新社員」を詠んだ作品。「新社員」を「食パンのやうな白さ」と形容したところに、現代の若者に向けられた作者の辛口の眼が感じられる。ふわふわした白い食パンは、確かに見た目清潔感があり食べやすいが、全粒粉の小麦色をしたパンに比べて栄養価は乏しく食べ応えがない。そんな若者観を秘めた形容だと思う。おそらくは見たまま感じたままの即吟だろうが、この形容には作者の批評眼と鮮度のいい感性が活きている。『俳句』2025年11月号。
「いぼむしり」は蟷螂(かまきり)の別名。 蟷螂にイボを噛ませたり、蟷螂でイボを撫でるとイボが治るとの俗説に由来する。
掲句は、「いぼむしり」が天空をめぐる月を獲って食ってしまうという。「いぼむしり」の前肢は鎌状をしていて、日頃はその前肢で他の虫を捕えて食らうのだが、その夜は、あろうことか、月に前肢を伸ばして捕えて食らってしまったというのだ。「いぼむしり」という俗信に由来する奇妙な名が、その愉しい想像を生かしている。『俳句』2025年11月号。
「夜長」は秋の夜の長いことをいう。秋分が過ぎると、昼よりも夜が長くなり、夜の長さを実感するようになる。暑かった日々の記憶も遠ざかり、長い夜を読書などで過ごすのもこの頃。
掲句は、秋の夜道をひとり辿るところを詠んだ作品。前を行く夫婦か恋人らしい見知らぬ二人の人影。少し離れて同じ道を辿っていく作者。前を行く二人も作者自身も秋の夜長のただ中にいる。ただそれだけの内容だが、夜長の情感が句のすみずみにゆきわたっている。『俳句』2025年11月号。
「案山子(かがし)」は田畑に立てられる人の形をした人形。鳥や獣から作物を守る役割があり、豊作を願う依代(よりしろ)や、畑のお守りのような存在としても親しまれてきた。収穫が終わり用済みになったものが「捨案山子(すてかがし)」。
掲句は谷戸奥の田圃の「捨案山子」を詠む。稲刈りが終わり、谷戸の田圃の畦などに、役割を終えた二、三の案山子が地面から引き抜かれて、凭れ合う形で置いてあるという。「凭れ合ふまま」の措辞に、作者の確かな写生の目がある。「谷戸(やと)」は丘陵地が浸食されてできた谷状の地形のこと。収穫を終えた谷戸奥の田圃の情景が見えてくる。『俳句』2025年11月号。