
春を先取りして、薄手のニットを着せたマネキン。どこかへ出掛けて行きそうな雰囲気がある。季語でいえば「春セーター」。春になり寒さが和らぐにつれて、人々の着るセーターも薄手になり、色も明るく淡いものが好まれる。

春を先取りして、薄手のニットを着せたマネキン。どこかへ出掛けて行きそうな雰囲気がある。季語でいえば「春セーター」。春になり寒さが和らぐにつれて、人々の着るセーターも薄手になり、色も明るく淡いものが好まれる。
「猟期果つ」は冬の狩猟が解禁される期間(一般的に11月中旬〜翌2月中旬)が終わり、山に静けさが戻ること。冬の間聞こえていた銃声が絶え、山里に春の気配が訪れる。猟の当事者からすれば、名残惜しい気持ちもあるだろう。
掲句は、狩猟の期間が過ぎて静かになった山里の夕暮れを詠む。「夕星(ゆうづつ)」は夕方の西の空に輝く金星(宵の明星)のこと。陽が沈む頃、真っ先に光を放ち始めるのがこの星だ。細かな描写を一切省略して、「夕星の一つ大きく」と大掴みに平明に表現したところがいい。その声調の伸びやかさは、猟期が終わって春の気配が訪れた山里の静かな雰囲気を感じさせる。山間に住む人の生活実感が背景にあるのだろう。『俳句』2026年2月号。
「寒林」は冬の樹木、特に葉を落とした落葉樹が群立しているさまをいう。「冬木立」とも。葉を落とした落葉樹は、常緑樹も交じりながらひっそりと立ち並ぶ。寒さに耐える木々には、もの寂しさだけでなく力強い生命力を感じることもある。
掲句は、葉を落としきって立つ「寒林」の木々それぞれが一行詩だと詠む。私は一読、裸木になったメタセコイヤなどがすっくと直立する様を思い浮かべた。確かに、縦書きで書かれた俳句などの「一行詩」を彷彿させる情景だろう。木々は己が命の力で、また、「一行詩」は言霊の力で、寒気の中に静かに立っているのだ。『俳句』2026年2月号。
「雪婆(ゆきばんば)」は、アブラムシ科の虫である綿虫の別称。晩秋から初冬にかけて見られ、白い綿のようなものをまとってふわふわと飛ぶ。初雪の頃出現することから、雪虫とよぶ地方もある。
掲句は、戸外で人と言葉を交わしている最中に見かけた「雪婆」を詠む。会話の途中ふと言葉が詰まったとき、虚空を舞う「雪婆」の姿が作者の目に映ったのだ。この句はただそれだけのことを詠んでいるに過ぎないが、人の中にいて感じている作者の孤心が「雪婆」を通して見えてくるところがいい。『俳句』2026年2月号。
「着膨れ(きぶくれ)」は、寒さを防ぐため衣服を何枚も重ねて着て、体が膨れて見える状態。身体の動きが鈍くなりやすく、心の働きにも同様の影響をもたらす。端から見ればどことなくユーモラス。
掲句は、「着膨れ」の状態にある作者自身、或いは他の人を辛辣な目で詠んだ作品。外見などは気にせずに「着膨れ」ていても、人並みに国を憂える思いは残っている。それも「ときどき」だというのだ。その人の大方の関心や話題は身辺の雑事・俗事に終始している。「ときどき」という措辞に、自他を含めた人間界に対する辛口の批評眼が覗く。『俳句』2026年2月号。