「秋半ば」は秋を初秋、仲秋、晩秋の三つに分けたうち、仲秋の頃のこと。陰暦では8月、陽暦ではおおむね9月と重なる。しきりに虫が鳴き、澄んだ月の光が辺りを照らし出す。
掲句は、秋も半ばになったのに、机の上の紙は白紙のままだとの句意。作者のものを書く日常そのままの作品だろう。実際には原稿依頼の締切りが気になって浮かんだ句かもしれないが、作中にはあらわな主観の表出はない。その平淡な描写に「秋半ば」の季語が的確に据わる。机の上の白紙が見えてくる。『俳句』2025年10月号。
「秋半ば」は秋を初秋、仲秋、晩秋の三つに分けたうち、仲秋の頃のこと。陰暦では8月、陽暦ではおおむね9月と重なる。しきりに虫が鳴き、澄んだ月の光が辺りを照らし出す。
掲句は、秋も半ばになったのに、机の上の紙は白紙のままだとの句意。作者のものを書く日常そのままの作品だろう。実際には原稿依頼の締切りが気になって浮かんだ句かもしれないが、作中にはあらわな主観の表出はない。その平淡な描写に「秋半ば」の季語が的確に据わる。机の上の白紙が見えてくる。『俳句』2025年10月号。
「鰯雲(いわしぐも)」は鰯の群れのように空に広がる雲のことで、魚の鱗にも似ていることから、「鱗雲(うろこぐも)」ともいう。台風や移動性低気圧が近づく秋によく見られ、代表的な秋の雲。
掲句は黒麺麭(くろぱん)に一片のチーズをのせた簡素な食事をしていると、窓に「鱗雲」がゆったりと流れているとの句意。「秋渇き(あきがわき)」という季語があるように、秋は過ごしやすい気候の中で、暑さのために減退した食欲が回復してくる季節。豪華なディナーなどとはほど遠い質素な食事だが、大地の恵みを感じさせる香ばしい黒麺麭とチーズは昔から黄金の組み合わせだ。食欲の秋を迎えた喜びが、簡素な食事だからこそ率直に伝わってくる。『俳句』2025年10月号。
「天の川」は初秋の澄み渡った夜空に帯状に白く濁って横たわる無数の星のこと。川のように見えるので、「銀河」「銀漢」ともいう。晩夏から初秋にかけて最も明るく美しい。七夕伝説の織姫と彦星を隔てる川で、二つの星は年に一度、旧暦7月7日の夜にこの川を渡って逢うことをゆるされる。
掲句は、「天の川」を仰ぎつつ、昭和という時代が既に遥かに隔たってしまったことを詠む。中村草田男が昭和六年、〈降る雪や明治は遠くなりにけり〉と詠み、明治が既に遠い一時代となってしまったことを詠嘆した。これに対して、掲句は令和7年の今の世にあって、「昭和遠し」と詠嘆する。「縦に流るる」との措辞も、真南から天頂へ起ち上る晩夏から秋にかけての「天の川」の描写として的確。『俳句』2025年10月号。
「蝗(いなご)」はイナゴ科に属するバッタ類の総称。「螽」「稲子」とも表記する。体長は3センチほどで体色は黄緑色。実りの田に棲みついて、稲を荒らす害虫。捕まえて佃煮などにする。
掲句は、稔り田の傍らに立つ野仏の頭にたかった「蝗」をユーモラスに詠む。「あたま」「かしら」と言っても同義だが、「つむり」と言ったところに、野仏に対する作者の親しみと心の余裕が表れている。一匹の「蝗」を見かけてもそう目くじらを立てることはないのだ。一面の稲穂が波立って、今年の豊作を約束しているのだから。『俳句』2025年10月号。
「終戦日」は、8月15日。日本がポツダム宣言を受諾し、第二次世界大戦が終結した日。戦争の過ちを反省し、平和を願う日とされている。「終戦記念日」「敗戦日」「敗戦忌」などともいう。
掲句は終戦日の追悼の集いなどに参列しての作品だろう。靴底を通して、灼けたアスファルトの熱さが足裏に伝わってきたのだ。地面の熱さは、作者に、80年前のその日を思い起こさせた。式典当日は目に触れるもの、耳に聞こえるもの色々あったろうが、一句は、焦点を足裏の熱さの感覚に絞った。省略と単純化は俳句の骨法の一つ。『俳句四季』2025年10月号。