秋分の日(9月23日頃)を中日とし、前後3日を含めた7日間。単に「彼岸」といえば春分の日前後の春の彼岸を指し、その半年後に来る秋の彼岸が「後の彼岸」。先祖の供養をしたり、墓参りをしたり、おはぎを供えたりする。「秋彼岸」が「秋」という季節そのものを意識させるのに対し、「後の彼岸」は春の彼岸からの時の流れを意識させる言葉。「秋彼岸」の傍題。

秋分の日(9月23日頃)を中日とし、前後3日を含めた7日間。単に「彼岸」といえば春分の日前後の春の彼岸を指し、その半年後に来る秋の彼岸が「後の彼岸」。先祖の供養をしたり、墓参りをしたり、おはぎを供えたりする。「秋彼岸」が「秋」という季節そのものを意識させるのに対し、「後の彼岸」は春の彼岸からの時の流れを意識させる言葉。「秋彼岸」の傍題。

電柱の影が田に伸び冬旱 直人
「冬旱(ふゆひでり)」は冬に雨や雪が降らず、晴天と乾燥が続くこと。単に「旱」といえば夏の季語だが、冬の日本の太平洋側などでは雨量が少なく、空気が乾燥して日照りが続くことが多い。大地が乾き、水不足や野菜の生育への影響が懸念されるような、寒々しく乾いた風景が想像される。
掲句は、既に農事が終わった冬田に伸びる電柱の影を詠む。作者が日頃見かけている甲府盆地の光景かも知れないが、私は、一面冬田が広がる関東平野の風景を想像した。稲刈りが終わって真っ平らになった田がどこまでも広がり、空っ風が日夜吹き抜けている。田の真ん中を貫いている舗装路に沿って電線が延びていく、そんな光景だ。どこにでもある光景だが、「冬旱」という的確な下五により、句が呼び起こす風景に広がりが生まれた。昭和36年作。『帰路』所収。
パリ近郊に滞在中の6月下旬、シャンティイ(Chantilly)を訪れた。パリの北約40〜50キロメートルにある、美しい城やホイップクリーム発祥の地として知られる町である。
シャンティイ城の手前の濠は、ノネット川から引かれている水。ノネット川はオワーズ川の支流で、ヴェルサイユ宮殿の庭園も手がけた造園家アンドレ・ル・ノートルによって人工的に整流・運河化された。城は、自らの美を誇示するかのように、その端正な姿を水に映していた。

城の内部のコンデ美術館は、ルーブル美術館に次ぐフランス国内第2位の古典絵画コレクション。このコレクションを収集したのは国王ルイ・フィリップの息子オマール公アンリ・ドルレアン。フランス革命で破壊されたこの城をルネサンス様式で再建・復元したのもこのオマール公である。オマール公は自身の莫大な美術コレクションを城ごとフランス学士院に遺贈したという。19世紀のことである。因みに、コンデ公(Prince de Condé)は、16世紀から19世紀にかけてフランスで栄えた、王室の血を引く名門貴族(親王家)の当主が名乗った称号。1830年にコンデ公家が断絶したとき、シャンティイ城を含め、その全財産を相続したのがコンデ公の甥にあたるオマール公だった。
次の写真は城内の「戦いの間」。白い壁と金の縁取りが特徴的な18世紀ロココ調の空間。コンデ公の戦争での勝利を描いた絵画が並んでいる。「戦いの間」を含め城の建物そのものが、そのままコンデ美術館になっている。

城内の王子の寝室。16世紀から残るエリアで、フランス革命の破壊を免れたため、かつての城主たちの私室がそのまま残っている。コンデ公家の栄華を伝える部屋の一つ。

城内の大居室とダイニングテーブル。天井の木彫り装飾、壁のタペストリー、テーブル上の金色の燭台などが目を引く。

シャンティイ城の大厩舎(グランデ・エキュリ)は、18世紀にブルボン公ルイ・アンリのために建てられた、宮殿のように豪華で壮大な厩舎である。元々は競走馬や猟犬、馬車などを収容するために建てられたという。当時、貴族にとって狩猟は最高の娯楽であり、ステータス。収容されていたのは、広大なシャンティイの森で狩りを行うための馬や猟犬である。現在、シャンティイはフランス最大の競走馬の町。ここで第1回の競馬の公式レースが開催されたのは1834年に遡るという。
次の写真は、駐車場付近から競馬場越しに撮った大厩舎。当日は競馬は行われておらず、青々とした芝生が広がっていた。

建築家ジャン・オベールが設計したこの建物は、 現在は馬の博物館になっており、馬に関する資料やオブジェが展示されていた。

大厩舎には、今でも馬が飼育されており、馬術ショーや調教のデモンストレーションを楽しむこともできるという。

陰暦8月2日頃から上弦(三日月や半月)の頃までの月。日没後の宵の時間帯に現れ、夜半には沈んでしまう。「宵月」が出ている夜が「宵月夜」。

テングタケ科の毒キノコ。針葉樹(マツ、モミなど)や広葉樹(コナラ、クヌギなど)の林の地上に広く発生する。名前の由来は、褐色の傘にある白い水玉模様の斑点(外皮膜の破片)が、天狗の衣服(山伏の装束)の柄や、天狗の鼻のまわりの小鼻(ぶつぶつ)を連想させるためとの説がある。「茸」や「毒茸」の傍題。
