中国、朝鮮半島及び日本の九州北部原産のベンケイソウ科の多年草。別名「血止草」。葉が肉厚で非常に生命力が強く、なかなか枯れないことからこの名がある。長崎県や対馬などに自生するほか、中国原産のオオベンケイソウやヨーロッパ原産の近縁種をベースに品種改良された園芸品種が栽培されている。秋に淡紅色の小さな花を密集して咲かせる。

中国、朝鮮半島及び日本の九州北部原産のベンケイソウ科の多年草。別名「血止草」。葉が肉厚で非常に生命力が強く、なかなか枯れないことからこの名がある。長崎県や対馬などに自生するほか、中国原産のオオベンケイソウやヨーロッパ原産の近縁種をベースに品種改良された園芸品種が栽培されている。秋に淡紅色の小さな花を密集して咲かせる。

今回の旅行の最初の宿泊地はヴィレンヌ・シュル・セーヌ(Villennes-sur-Seine)。パリ中心部からセーヌ川に沿って約80キロ下流に位置する町だ。私たちはそこに滞在しながら、パリの中心部に繰り出したり、ジベルニーなど近郊の町に出掛けたりした。
ホテルのベランダの直ぐ前がセーヌ川だった。セーヌ川は、周知のように、パリの中心部を通り抜けてイギリス海峡へと注ぐ、フランス国内ではロワール川に次いで2番目に長い川。
川が最も賑わうのは日が傾いてくる夕暮の頃で、飛び込んで泳ぐ人、ボートを漕ぐ人のほか、モーターボート、水上スキーなどを楽しむ人もいた。折々は遊覧船や貨物船も通った。折から、ヨーロッパを熱波を襲っていた時期でもあり、川に親しむ人が特に多かったのかも知れない。下の写真は、ホテルのベランダから撮ったセーヌ川。

次の写真は、電車でパリの中心部に出掛けたとき、アレクサンドル三世橋のほとりからエッフェル塔方面を撮った一枚。ここからやや上流に遡ったところにあるシテ島がパリ発祥地である。紀元前3世紀頃、この島にケルト系の先住民族であるパリシイ族が住み着いたことが、パリの語源になっているという。私たちのパリ散策は、熱波のお陰でこの一日だけになってしまった。

以降、私たちの訪問地は、セーヌ川の下流域へと移っていった。クロード・モネが後半生を過した家と庭園があるジヴェルニー。ノルマンディ地方の中心都市ルーアン。さらには、河口のオンフルールとル・アーブル。いずれも、セーヌ川沿いの、セーヌ川に育まれた町であり、モネを始めとする印象派の画家たちを惹きつけた地でもある。
オンフルールはセーヌ川河口の南側に位置する町。次の写真の船溜まりは、かつてモネなどの画家たちが好んで描いたモチーフである。

オンフルール散策中に撮ったノルマンディ大橋。セーヌ川河口の北側のル・アーヴルと南側のオンフルールを結ぶ全長2141メートルに及ぶ世界有数の美しい斜張橋である。橋の向こうはイギリス海峡である。私たちはこの橋を渡って対岸のル・アーブルに向かった。

次の写真は、私たちの最後の滞在地サモワ・シュル・セーヌ(Samois-sur-Seine)で撮ったセーヌ川。パリ中心部から川に沿って90キロメートル余り上流に位置する美しい村である。

サモワ・シュル・セーヌ滞在中には、画家シスレーが愛したモレ・シュル・ロワン(Moret-sur-Loing)や明治時代に黒田清輝ら多くの日本人洋画家が滞在して制作を行ったグレー・シュル・ロワン(Grez-sur-Loing)にも訪れた。いずれもロワン川沿いの村で、ロワン川はセーヌ川の支流。次の写真は、グレー・シュル・ロワン訪問時に撮ったロワン川。

以上のように、今回の旅はセーヌ川に始まり、途中ロアール地方を巡った後、最後はセーヌ川で締めくくる旅であった。
余談になるが、ヴィレンヌ・シュル・セーヌ(Villennes-sur-Seine)、サモワ・シュル・セーヌ(Samois-sur-Seine)など、フランスの川沿いの町や村には「sur-〇〇(〇〇川沿いの)」という命名がなされていることが多い。これらの命名には、川の辺に暮らし、川とともに生きているという町の人々の感覚が活きているようだ。フランス人にとって、川は単なる境界線などではなく、暮らしや歴史、景観の軸であり、船運、水利など生活の源であり、長い時間をかけて町を育んでくれるものである。そして、川沿いという自らが住んでいる村や町特有の風土を大切にしようとする志向が、これらの命名の根底にはあるだろう。そこには、デカルト的な合理主義とは異なる、フランス人の血に流れる自然共生的な気質が窺えるように思う。
里芋の植わっている畑。里芋は、インド・ネパール等原産のサトイモ科の多年生植物。日本への渡来は縄文時代中期とされ、古くから栽培されているが、現在出回っている品種の多くは明治以降に品種改良されたもの。単に「芋」や「芋畑」と言えば、さつまいもやじゃがいもではなく、古くから日本で栽培されている里芋を指す。夏から秋にかけて大きなハート型の葉が青々と茂り、やがて収穫期を迎える。「芋」の傍題。

ユーラシア大陸等原産のナス科の多年草。日本には古い時代に海外から入ってきた史前帰化植物。ホオズキに似ているのに、袋もできず、実も黒くて遊びにも使えず役に立たないことから、ホオズキにイヌを冠してイヌホオズキと名付けられた。夏から秋にかけて茎の途中から集散花序を出し、白色の星型の花を散形につける。近縁の帰化植物にアメリカイヌホオズキがある。

オミナエシ科オミナエシ属の多年草で、秋の七草の一つ。標準的な呼び名は「女郎花(おみなえし)」。北海道から九州まで全国の山野に自生する。奈良時代(万葉集の時代)の初期には「をみなへし」(女性を圧倒するの意)と呼ばれていたが、平安時代〜室町時代にかけて、黄色い花が粟ご飯に似ていることから、粟ご飯の別名である「女飯(をみなめし)」と混同され、「をみなめし」とも呼ばれるようになったという。「女郎花」の傍題。
