「蓬摘」は「摘草」の傍題。夏には繁茂して猛々しい姿になる蓬だが、春、土手や田圃の畔などに萌え出た姿は可憐だ。蓬を摘んでいた指先には、摘んだ後も香しい匂いが残る。春の大地の命が凝縮したような匂いだ。餅に搗き込むと、空よりも鮮やかな真っ青な草餅ができあがる。
掲句は、「蓬摘」をしていて、指先が勝手に動いてしまう忘我の状態を句にした。自然に溶け込んで時の経つのも忘れる至福の時間がそこにはある。『俳壇』2023年4月号より。
「蓬摘」は「摘草」の傍題。夏には繁茂して猛々しい姿になる蓬だが、春、土手や田圃の畔などに萌え出た姿は可憐だ。蓬を摘んでいた指先には、摘んだ後も香しい匂いが残る。春の大地の命が凝縮したような匂いだ。餅に搗き込むと、空よりも鮮やかな真っ青な草餅ができあがる。
掲句は、「蓬摘」をしていて、指先が勝手に動いてしまう忘我の状態を句にした。自然に溶け込んで時の経つのも忘れる至福の時間がそこにはある。『俳壇』2023年4月号より。
オオシマザクラ系のサトザクラで、江戸中期以前に人の手によって作られた人工種。淡黄緑色の花色が、ウコンの根茎を使って染めた色(鬱金色)に似ていることからこの名が付けられたといわれている。咲き始めは文字どおりのウコン色(薄緑色)だが、徐々に白っぽくなり、最後は紅を微かに含むようになる。「桜」の傍題。
下の写真は、近所の川べりに咲いている何本かの一つで、ソメイヨシノが咲き終わった後、見頃を迎えている。

春になると、肌に触れる風の感触が変わってくる。冬の間に吹く北風の尖った感じとは異なり、どことなく人に優しく触れてくる風に、春の到来を実感する。陽の光も強くなり、風が光ると感じられる瞬間が確かにある。
掲句は、「点睛の一語」を見出した表現者としてのささやかな幸福感を句にしたもの。俳句を作り続けていると、一通りできているが、どこか物足らない作品ができることがあり、決め手になる核心の一語が定まると、句が、見違えるように精彩を帯びてくることがある。「点睛の一語」は、そのことを言ったもの。折りから、春の柔らかい風が、五体を吹き過ぎて行った。平成19年作。『春霙』より。
「紅枝垂れ(べにしだれ)」はエドヒガンの変種で、濃い紅色の花を大きな樹から滝が流れ落ちるように咲かせる。
掲句の「寂庵(じゃくあん)」は、2021年11月に逝去した瀬戸内寂聴が生前京都嵯峨野に開いたお寺であり自宅も兼ねた曼荼羅山寂庵のこと。かつて寂聴に親近した作者の追慕の思いが「天にふぶける」の措辞から感じられてくる。「天」は単なる空ではない。それは亡き寂聴の魂が棲む天上界である。今しも「紅しだれ」が吹雪いて、寂聴の魂を包み込むかのように、しきりに花びらを散らしているのだ。『俳壇』2023年4月号より。
なお、黒田杏子氏は、2023年3月13日に逝去された。
「山茱萸」(さんしゅゆ)も「三椏」(みつまた)も、早春に咲く黄色い花。同時季にはまんさくが、少し遅れて連翹、黄梅、山吹などが、黄色い花を咲かせる。そういえば、仲春の頃野や畑に一面に咲く蒲公英も菜の花も黄色だ。だが、同じ黄色い花といっても、その色合いには微妙な違いがある。陰気な黄色、陽気な黄色、内気な黄色、外交的な黄色など、印象はさまざまだ。
掲句は、これらの花から受ける印象の違いを表現できないかと思い、一応の形になったもの。「小声」に、春浅い頃の季節感が表れていれば幸いだ。平成18年作。『春霙』所収。