豌豆(えんどう)はマメ科の一年草又は二年草。ヨーロッパ原産で、多くは蔓性。春、赤紫色又は白色の蝶形の花をつける。花の後できる若い莢は「絹莢」、豆は「グリーンピース」として食し、いずれも初夏の季語。豌豆の花は、春になるとどこにでも見掛けるありふれた花だが、赤紫も白も、郷愁を誘うような人懐かしさがある。
下の写真は、近所の菜園で撮ったもの。豌豆の白花も盛りを過ぎて、瑞々しい莢が次々とできている。絹莢として油炒めなどにすると、朝食の一品になりそうだ。

豌豆(えんどう)はマメ科の一年草又は二年草。ヨーロッパ原産で、多くは蔓性。春、赤紫色又は白色の蝶形の花をつける。花の後できる若い莢は「絹莢」、豆は「グリーンピース」として食し、いずれも初夏の季語。豌豆の花は、春になるとどこにでも見掛けるありふれた花だが、赤紫も白も、郷愁を誘うような人懐かしさがある。
下の写真は、近所の菜園で撮ったもの。豌豆の白花も盛りを過ぎて、瑞々しい莢が次々とできている。絹莢として油炒めなどにすると、朝食の一品になりそうだ。

「入学試験」「受験」は仲春の季語になっているが、かつて自ら受験を経験し、二人の子の受験を見守ってきた生活者としての実感からいえば、大学入試共通テストが行われる1月中旬の最も寒さの厳しい時期に受験シーズンに突入する感じだ。その後も受験シーズンは続き、徐々に春めいてくるのだけれど・・・
掲句は、通勤途中目にした受験生の姿が契機になってできた作品。寒さの厳しい駅のホームで、厚手のマフラーをぐるぐると首に巻き付け、手袋をしっかり嵌めた、一目でそれと分かる受験生の姿が印象的だった。一人一人の受験生の背後には、彼らを見守り、応援しているであろう肉親を始めとする多くの人たちがいることを想像した。掲句から、まだ少年少女の面影の残る受験生の姿を思い浮かべていただければ幸いだ。平成19年作。『春霙』所収。
芝はイネ科の多年草。野山に自生するが、「若芝」「芝青む」などという場合は、公園や広々した敷地が思われる。冬の間一面枯色をしていた芝生は、春になると若芽が出て、うっすらと青んでくる。そして、夏になると、緑の絨毯を敷き詰めたような「青芝」となる。


「花吹雪」は、惜し気もなく風に散る桜の花びらを吹雪(ふぶき)に譬えた言葉で、「落花」の傍題。しきりに散っている桜は、その時、一切の執着を捨て去った放下の状態にあるようにも思える。
掲句は、花吹雪の行方を目で追っていてできた作品。落花の多くは水に落ちたり幹に当たったりして途中で飛翔を止めてしまうのだが、一部の落花は、どこまでも風に吹かれて飛んで行くのだった。ふと、この世とあの世の境を越えて吹かれていくひとひらの落花を想像した。平成18年作。『春霙』所収。
蒲公英(たんぽぽ)は、キク科タンポポ属の多年草の総称。さまざまな種が全国各地の道端や野原に自生する。在来種にはカントウタンポポ、カンサイタンポポなどがあり、外来種としては、セイヨウタンポポやアカミタンポポなどがある。三月から五月にかけてぎざぎざの葉の間から茎が伸び、その先端に黄色い花を咲かせる。最もポピュラーな野の花の一つ。
掲句は、たんぽぽに跼(かが)んだとき、過ぎ去った遠い日々のことが、鮮やかによみがえったとの句意。身近に感じられたのは、たんぽぽ摘みに熱中した少女時代かも知れないし、父母とともに過ごした幸福な日々だったのかも知れない。いずれにしても、人の記憶に刻み込まれた思い出は、隔てている年月の長短とは関わりなく、何かに触発されて鮮やかによみがえるものなのだ。『俳壇』2023年4月号。