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俳句の庭

  • 霾や壺の梅干し塩噴いて

    4月 18th, 2023

    「霾」(つちふる)は黄砂が降ること。日差しはありながらどことなく空が濁っているように感じられる日、自動車の車体や物干し竿にうすうすと黄砂が積もっていることがある。そんな日は、どことなく気分も鬱陶しい。実景を写生する場合のほか、陰影のある複雑な心の内を暗示しようとする場合に、この季語が用いられることもあるようだ。

    我が家には、父が遺した梅干が何壺かある。月日の経過とともに塩を噴いて、普通に食べるには塩辛過ぎて向かないし、黒々として食味をそそるものではないが、夏などにご飯に混ぜて炊くと、仄かな梅干の香りに食欲が増すような気がする。なお、この梅干は20年以上前に父がつくったものだ。父は、中国大陸に出征した経験を家族にほとんど語ることがなかった。平成20年作。『春霙』所収。

  • 落花

    4月 18th, 2023

    桜の散っていく様は、日本人の美意識に訴えるところがある。花吹雪の中で、心は日常から離れ、万物が生滅を繰り返すこの世のことを思っている。そして、一つ一つの花びらは、天地の流転の中に投げ込まれる。水に散った花びらは忽ち流れ去って眼前から消えるし、地に散った花びらは、そこに散り溜まったり、風に吹き寄せられたりする。地に溜まっていた花びらも、数日の間に土に還って目につかなくなる。

  • しらうおや灯の入る前の店に酌む 山田真砂年

    4月 18th, 2023

    「白魚」はシラウオ科の硬骨魚で体長10cmほど。春を告げる魚として知られ、「白魚」「白魚飯」「白魚汁」「白魚鍋」等はいずれも春の季語。

    掲句は、小ぢんまりとした店のカウンター席の前に「しらうお」を使った料理が並んでいる場面を想像したい。春の一日は中々暮れようとしない。作者は、暮れるのを待ちかねて、まだ客の疎らな店内で、白魚鍋などを肴に酒を酌んでいるのだ。そこには、何事にも束縛されない自由を愉しんでいる気分があるだろうし、旅先の解放感もあるのかも知れない。昼の酒には、一抹の後ろめたさも混じるのだが・・・。『俳壇』2023年5月号より。

  • 夏隣

    4月 17th, 2023

    立夏が近づくと、桜、山吹、藤など、春咲く花々の大方は散り尽くし、山中は葉を広げる木々に遮られて日ごとに暗くなってくる。その一方で、青空のもとでの日差しの眩しさは、確実に季節が夏に向かっていくことを感じさせる。街を歩く人々の服装も、季節を先取りするかのように軽装になり、街中をからりと乾いた風が吹き抜ける。

  • 星朧雨子骨酒ふくみつつ

    4月 16th, 2023

    春になって寒気が緩んでくると、夜、見上げる星も潤んで柔らかな光を帯びてくる。地上の我々も星も、同じような夜気の湿りの中にいるような錯覚に囚われる。

    掲句は、3月中旬に秩父に小旅行したときの作品。山女(やまめ)と雨子(アマゴ)は、体の横の鮮やかな朱点の有無で区別するそうだが、その夜味わったのは雨子骨酒だった。暮れるにつれて、川を隔てた山の端に星が一つ、また一つと殖えていった。令和5年作。

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