コンテンツへスキップ
    • HOME
      • POST
      • PROFILE

俳句の庭

  • 初蝶に面(おもて)を上げよ哭き羅漢

    4月 13th, 2023

    「初蝶」は、春になって初めて見掛ける蝶のこと。大抵は、不意に見掛けて、たちまち見失ってしまう。もうそんな時季になったのかと、改めて春になったことを実感する。よく晴れて、日差しが惜し気もなく降り注ぐ地面や草の上などで見掛けることが多い気がする。

    川越の喜多院の五百羅漢は、実際には全部で538体あるという。笑っている羅漢、怒っている羅漢、耳に口を寄せて何か囁いている羅漢、相酌の羅漢などさまざまな羅漢がいる。その中に見掛けた、腕に顔を埋めて哭いている羅漢のことを、陽春の日差しの中でふと思い起こした。この世を拒むかのように、顔を伏せた羅漢は、一体何を嘆いているのだろう。平成20年作。『春霙』より。

  • 残り鴨

    4月 13th, 2023

    鴨は冬鳥として日本に渡来し、春になると北方へ帰ってゆくが、春がたけなわになっても、帰る時期が遅い小鴨などは、まだ帰らずに残っている。また、老いたり病気になったりして日本に留まっているのもいる。ほとんどの鴨が帰ってしまい静かになった湖に、ひっそりと留まっている鴨には、どことなく寂しさがある。

  • わたくしの漉き込まれゆく飛花落花 清水和代

    4月 12th, 2023

    「飛花」「落花」「花吹雪(はなふぶき)」などは、桜の散り際を愛でる日本人の美意識が感じられる言葉だ。惜し気もなく散り急ぐ桜吹雪の中にいて、その美しさに茫然としながら、今年の桜も見納めだと思い、止まることのない月日の流れを感じ取る。

    掲句は、「飛花落花」の中に佇む作者の幻想だろう。「漉き込む」は、紙に文字や模様が現れるように普通の原料以外の、例えば木の葉や花びらなどを混ぜて漉くこと。「飛花落花」の中にいて、それらの花びらと一緒に自身も漉き込まれてゆく錯覚を覚えたのだ。自他の境界が曖昧になるような忘我の境地が詠まれている。『俳壇』2023年4月号より。

  • 春の空

    4月 12th, 2023

    かつて飯田龍太が〈白梅のあと紅梅の深空あり〉と詠んだ「深空」(みそら)は、冬から春先に梅が咲く頃までの深々とした青空であり、春が深まるにつれて、常に薄雲がかかったような空となる。また、澱のように漂っている薄雲が、徐々に分厚くなってきて、いつしか空全体を覆って雨を降らすこともある。春は天気の移り変わりが早い。

  • 燻されて日が真つ赤なり葭を焼く

    4月 12th, 2023

    「野焼」は、手元の歳時記に初春の季語として掲載されているが、「葭焼」(よしやき)はその傍題として扱っていいだろう。土地を肥やし害虫を駆除して、新しく生えてくる葭などの草の生育を促す効果があるという。

    掲句は、渡良瀬遊水地に葭焼きを見に行ったときの作品。火入が行われると、野を渡ってくる風に、高々と火が立ち上がり、また、吹きちぎれた。火入前には晴れわたっていた空が暗くなるほど、葭焼きの煙が立ち込め、身体や衣服に煙のにおいが沁み付いた。焼畑農法の昔から続いている人と自然の関わりを思い浮かべた。平成21年作。『春霙』より。

←前ページ
1 … 623 624 625 626 627 … 632
次ページ→

WordPress.com Blog.

コメントを読み込み中…

    • 登録 開始日
      • 俳句の庭
      • WordPress.com のアカウントをすでにお持ちですか ? 今すぐログイン
      • 俳句の庭
      • 登録 開始日
      • 登録
      • ログイン
      • このコンテンツを報告
      • サイトを Reader で表示
      • 購読管理
      • このバーを折りたたむ