芙蓉(ふよう)が咲き終わった後にできる実のこと。芙蓉はアオイ科フヨウ属の落葉低木で、晩夏初秋にかけて枝の上部に大輪の一日花をつける。実は球形で硬い毛に覆われている。その中に長い毛をもつ小さい種子がたくさんでき、実が熟すと五烈して種を飛散させる。

芙蓉(ふよう)が咲き終わった後にできる実のこと。芙蓉はアオイ科フヨウ属の落葉低木で、晩夏初秋にかけて枝の上部に大輪の一日花をつける。実は球形で硬い毛に覆われている。その中に長い毛をもつ小さい種子がたくさんでき、実が熟すと五烈して種を飛散させる。

タデ科タデ属の一年草。日本全国の野原や道端、畑などに自生。蓼に似ながら葉に辛みがなく用をなさないことからこの名がある。草丈30センチ。初秋の頃、1~5センチの花穂に紅色の花弁をもたない花をびっしりとつける。別名の「赤まんま」は、花や実をままごとの御飯に使ったこと、花の色や形が赤飯に似ていることによる。

この道を行く人なしに秋の暮 芭蕉 元禄7年9月26日、大坂新清水の料亭「浮瀬」で俳会が催された。催したのは和田泥足で、同座したのは芭蕉のほか、支考、͡之道、車庸、酒堂、惟然など。この初案は、俳会の数日前にできていたもので、秋の暮の寂寥感をモチーフにした叙景的な発想による作品。別案に、 人声やこの道帰る秋の暮 芭蕉 があり、初案と同じ主題を、家路を急ぐ2、3の人の話し声を配することによって、別の角度から描いた。芭蕉の胸中の人懐かしさの思いがこの句になったものだ。
この道や行く人なしに秋の暮 芭蕉 芭蕉は、初案の「この道を」を「この道や」と改め、前記の俳会に「人声や」の句とともに2句持参した。『笈日記』には「此二句いづれをかと申されしに、この道や行ひとなしにと獨歩したる所、誰かその後にしたがひ候半(はん)とて、そこに所思といふ題をつけて半歌仙侍り。」とある。この推敲及び詞書により、初案の「道」は抽象性を帯び、芸術と人生における孤独と寂寥を象徴するものとなった。「所思」との詞書は、この句が象徴詩であることを、連衆の前で自ら明らかにしたものだろう。
青北風(あおぎた)は、9月から10月にかけて晴天の日に北から吹くやや強い季節風のこと。
掲句は、職場が神田の神保町にあった頃、お茶の水駅界隈を散策していてできた作品。JRの高架近くに樹齢を感じさせる椋の大木があり、実を食べに鳥が群がっていた。その一帯は江戸城の鬼門に当たっていたと知ると、その木に貫禄が加わるような気がした。平成16年作。『河岸段丘』所収。
北アメリカ原産のキク科の多年草。明治時代に渡来し、日本全国の河川敷や荒地に自生。草丈は1~2メートルにもなり、晩秋、濃黄色の小さな花を多くつける。なお、俳句では在来種の泡立草(別名:秋の麒麟草)と併せて「泡立草」として詠まれることが多い。

