十五夜の満月を過ぎて、上半月が次第に欠けていく月のこと。月の出は次第に遅くなり、明け方頃まで月を望むことができる。夜々痩せてゆく月には秋の深まりを感じさせる。逆に、「上り月」は満月になるまで上半月が夜毎に丸く満ちていくもの。

十五夜の満月を過ぎて、上半月が次第に欠けていく月のこと。月の出は次第に遅くなり、明け方頃まで月を望むことができる。夜々痩せてゆく月には秋の深まりを感じさせる。逆に、「上り月」は満月になるまで上半月が夜毎に丸く満ちていくもの。

俳句で単に「祭」といえば都市部の神社を中心に行われる夏祭を指す。「山車(だし)」等の巡行があり、舞や奏楽などの奉納が行われる。境内や門前には夜店が立ち並び、宵宮から祭り当日にかけて多くの人でにぎわう。「山車」は「神輿」などとともに「祭」(夏季)の傍題。
掲句は祭当日「山車」を引く人たちの中にいる作者自身を詠んだ作品だろう。これまで何回か転職をして、どの職場も「山車」が巡行する道沿いにあるといった場面が想像される。「前の職場」の前を通るときの多少の後ろめたい気分や気恥ずかしさが、さり気なく出ているところがいい。『俳句』2024年11月号。
晩秋の頃の急に身に迫る冷やかさをいう。「荒(すさ)ぶ」「すさむ」(物事が勢いのまま進んで、荒れ衰える意)から出た言葉。『枕草子』には、〈昼吠ゆる犬、春の網代、三四月の紅梅の衣、牛死にたる牛飼、乳児亡くなりたる産屋、火おこさぬ炭櫃、地火炉。博士のうち続き女児生ませたる。方違へに行きたるに、あるじせぬ所。まいて節分などは、いとすさまじ〉とある。しらけた気分を表す「すさまじ」がその後「冷まじ」と表記され、季語として使われるようになった。

渋柿を日に干したもの。柿の皮を剥き、細縄に吊るし、日当たり・風通しのよい軒下などに干す。三週間ほどで表面に白い粉が噴き出す。干すことで渋みが抜けて甘くなる。「吊し柿」「干柿」という呼び名の方が一般的。

「鮭打ち」は、晩秋、産卵のために川を溯ってきた鮭を棒や竿で打つなどして獲ること。北海道や東北地方の川で古来行われてきた漁法。網を使ったり、簗場を作って捕まえるところもある。
掲句は、鮭を打つための往生棒が太刀のように反っているという。一般に「鮭打棒」という言い方はあるが、この句では、「往生棒」という土俗的な呼び名が、武骨に反った一本の棒を想像させて味わいがある。他に用例を目にしないところから、作者の出身新潟で用いられている言葉なのかも知れない。鮭打ちを生業にする人々の心情も窺える味わいのある言葉だ。『俳句』2024年11月号。