冬の初めに降る通り雨。降る時間は短く、地域も限定されている。主に山がちの地域でみられる冷気を伴う局地的な天候の変化で、雨が降ったり止んだりする。しばしば時雨が降る地域は、日本海側や内陸部の山間などであり、特に京都では北山を中心によく降り、「北山時雨」と呼ばれる。この雨が降ると、徐々に四囲の景色から色彩が消えてゆく。日本人は、時雨に濡れて寂れてゆくものの中に、美しさと無常を感じ取ってきた。他の季節に降る通り雨は、「春時雨(はるしぐれ)」「秋時雨(あきしぐれ)」などという。

冬の初めに降る通り雨。降る時間は短く、地域も限定されている。主に山がちの地域でみられる冷気を伴う局地的な天候の変化で、雨が降ったり止んだりする。しばしば時雨が降る地域は、日本海側や内陸部の山間などであり、特に京都では北山を中心によく降り、「北山時雨」と呼ばれる。この雨が降ると、徐々に四囲の景色から色彩が消えてゆく。日本人は、時雨に濡れて寂れてゆくものの中に、美しさと無常を感じ取ってきた。他の季節に降る通り雨は、「春時雨(はるしぐれ)」「秋時雨(あきしぐれ)」などという。

「夜寒」は晩秋の頃、日中感じられなかった寒さが、夜になって感じられること。
掲句は、朝晩の寒さを感じ出す晩秋の頃の都会生活の一場面を切り取った。秋が深まってくると、夜の訪れが早くなり、暗い家路を辿ることが増えてくる。「ヘッドライトを顔に浴び」には、夜道を来て、不意に自動車のヘッドライトに照らし出された驚きが表れている。そのヘッドライトの鋭利な光は、冬が直ぐそこまで来ていることを思わせる。『俳句』2024年12月号。
屁糞葛(へくそかずら)は日本全土に普通に見られる蔓性の多年草。他の植物やフェンスに絡まりながら成長し、晩夏の頃鐘状の小さい花をつける。全体に悪臭があることからこの名がある。別名「灸花(やいとばな)」。開花後、秋が深まると果実が飴色に熟し、鳥によって種子が散布される。なお、「屁糞葛の実」は歳時記に掲載されていない。

月は四季を通して仰がれるが、冬の月は寒さの中で磨ぎ澄まされたような光を帯びる。その冴え冴えとした光には、荒涼とした寂寥感がある。
掲句は冬の月光を「金銀のあはひのいろ」と形容した。確かにその光は黄色、金色などと形容するには余りに冴えわたっていて、丁度、金色に銀色を溶かし込んだような塩梅。一読、冬の月光を浴びて立っているような錯覚を覚えさせるのは、「あはひ」との措辞の故だろう。「あはひ」は漢字表記では「間」で、色の配合のこと。作者の精妙な色彩感覚に脱帽する。『俳句界』2024年12月号。