時雨はさだめなく断続して降る雨のことで、春に降る時雨が「春時雨」。昭和以降用いられるようになった比較的新しい季語で、「春」の一語により閑寂味に明るさや華やぎが加わった。春の通り雨が雷を伴う場合が「春雷(しゅんらい)」。単に「時雨」といえば冬の季語になる。

時雨はさだめなく断続して降る雨のことで、春に降る時雨が「春時雨」。昭和以降用いられるようになった比較的新しい季語で、「春」の一語により閑寂味に明るさや華やぎが加わった。春の通り雨が雷を伴う場合が「春雷(しゅんらい)」。単に「時雨」といえば冬の季語になる。

啓蟄(けいちつ)は3月5、6日頃。冬眠していた蛇や蛙などが暖かさに誘われて穴から出てくるころとされる。
掲句は私の膝に来て座った我が子のまとう陽の匂いに、春の到来を感じての一句。個人的には、今は巣立ってしまった我が子の幼かった頃の記憶がよみがえる作品でもある。一日外遊びをして帰ってきた子に、燦燦と降り注いでいた春の日差しの匂いがしたというのは、当時の私にとって新鮮な驚きだった。虫たちもその暖かな日差しに誘われて、穴から顔を出していたのだろう。平成10年作。『河岸段丘』所収。
春になってから萌え出た草のこと。名のある草も雑草も外来種も、なべて色淡く柔らかくみずみずしい。春の大地はこれらの草々によって一雨ごとに青みを増していく。芹(せり)や蓬(よもぎ)、虎杖(いたどり)など食用になるものも多い。下の写真は萌え出たばかりのシロツメクサ。

二十四節気の一つで、陽暦では3月5日頃。この日から春分(3月21日頃)の前日までの期間を指すこともある。「啓」は「ひらく」、「蟄」は「土の中で冬ごもりしている虫」の意で、地中の蟻、地虫、蛙、蛇などが動き始め、外へ出て活動を開始する頃とされる。実際にこれらの生き物を目にするのは、少し先になってからである。

「木の葉」は、冬、地面に落ちてしまった葉、あるいは梢にわずかに残っている枯葉をいう。
掲句は木の葉が頻りに降りかかる初冬の櫟林の道を歩いていての一句。〈吊橋や百歩の宙の秋の風 秋櫻子〉など「十歩」「百歩」を用いた句があるが、歩きながら何かを思ったり考えたりするには「百歩」くらいの距離が要るのではないだろうか。初冬の心地よい冷気の中、ほとんど無心の状態で歩きながら、そんなことを頭に浮かべていた。令和6年作。