「春愁(しゅんしゅう)」は春の最中におぼえる愁いのこと。特別な理由がある愁いではない。春光の中にいて、ふとしたことで心がくもる。
掲句は、自らの日常の動作に「春愁」を重ね合わせての作品。ハンドクリームを手にべたべたと塗ったのは「春愁」の結果なのか、或いはその原因なのかは、問うこともあるまい。作者の心の隙間に、知らず知らずのうちに「春愁」が入り込んできたのだ。ハンドクリームを手に塗るという日常のありふれた動作に焦点を絞ったところに、作者の俳人としての力量を見る。『俳句』2025年4月号。
「春愁(しゅんしゅう)」は春の最中におぼえる愁いのこと。特別な理由がある愁いではない。春光の中にいて、ふとしたことで心がくもる。
掲句は、自らの日常の動作に「春愁」を重ね合わせての作品。ハンドクリームを手にべたべたと塗ったのは「春愁」の結果なのか、或いはその原因なのかは、問うこともあるまい。作者の心の隙間に、知らず知らずのうちに「春愁」が入り込んできたのだ。ハンドクリームを手に塗るという日常のありふれた動作に焦点を絞ったところに、作者の俳人としての力量を見る。『俳句』2025年4月号。
「李(すもも)」は中国原産のバラ科サクラ属の落葉小高木。古くから日本に渡来し、果樹として栽培される。和名は、酸味の強い桃という意味で名づけられた。晩春の頃、白色五弁の花を咲かせ、夏に実が甘酸っぱく熟す。

「春立つ」は「立春」のこと。節分の翌日。寒さは依然として厳しいが、梅の蕾は膨らみ、日の光は力を増してくる。
掲句は皿にのせられたオムレツの真ん中に春の到来を感じ取っての作品。ふっくらと焼き上がったばかりの玉子の黄色い薄皮からほのぼのと立ち昇る湯気と香り。見るからに食欲をそそられる光景だ。食べる前の至福の一瞬を、「春立つ」の季語を用いて一句に定着させた。俳句の骨法である単純化の効果を改めて認識させられる。『俳句界』2025年4月号。
「霾(つちふる)」ともいう。モンゴルや中国の砂漠の砂塵が嵐によって舞い上がり、偏西風に乗って日本にやってくる現象。大陸の雪が解ける春に多く見られ、日本各地で観測される。黄砂に覆われると空は黄色くなり、太陽も赤みを帯びる。近年は、モンゴルよりもさらに西方の中東の砂や微粒子が日本に到達しているという。大陸の砂漠化にともない、黄砂現象は年々激しさを増している。
