「青き踏む」「踏青(とうせい)」は春、萌え出た青草を踏みながら、野山を散策すること。野遊び、ピクニックと同様、春の行楽の意味合いがある。
掲句は海の匂いが沁みついた髪のまま、春の青草を踏んで興じているとの句意。開放的な春の行楽の一日が伸びやかに詠まれている。海の匂いは、諸々の命を育む匂いだ。作者の命も、海の匂いと一体になって春を楽しんでいる。『俳句』2025年5月号。
「青き踏む」「踏青(とうせい)」は春、萌え出た青草を踏みながら、野山を散策すること。野遊び、ピクニックと同様、春の行楽の意味合いがある。
掲句は海の匂いが沁みついた髪のまま、春の青草を踏んで興じているとの句意。開放的な春の行楽の一日が伸びやかに詠まれている。海の匂いは、諸々の命を育む匂いだ。作者の命も、海の匂いと一体になって春を楽しんでいる。『俳句』2025年5月号。
春の夜にともす灯火のこと。行燈、電灯、蛍光灯などそれぞれの感じは異なるが、春夜にともるこれらの灯火には明るさ、伸びやかさ、華やぎがある。「春の灯」「春灯(はるともし)」ともいう。

「木の葉髪」は初冬の頃、夏に傷んだ毛髪が生え替わるなどのため、抜毛が多くなることをいう。折から木の葉が落ちる季節。一抹の侘しさを感じさせる言葉。
掲句は、父という作者の胸深く棲む存在に目を向けた作品。いつしか亡き父の行年に近い年齢になったが、胸中の父の面影は薄れるどころか、年々濃くなってきたのだ。「父よりも父に似」ているというアイロニカルな把握には、言葉の上の技巧にとどまらない実感がある。作者の経てきた半生の時の厚みを感じさせる。『俳句界』2025年5月号。
サトイモ科の大形多年草。主に中部以北の山地の湿原に自生する。地下に大きな球状の根茎があり、初夏の雪解けの頃、雪白色の仏炎苞(ぶつえんほう)を持った黄緑色の花穂を出す。葉は芭蕉に似ている。
