暑い夏は涼しさに敏感になり、涼しさを求めることから、「涼し」は夏の季語になっている。と同時に、「月涼し」「星涼し」「涼風」「朝涼」「晩涼」など、月や星や朝晩の涼しさを楽しむ。いずれも夏の季語だ。
掲句は、父母が健在だった頃、家人が寝静まった夜半に一人起きていて、ふと思い浮かんだ作品。二階の部屋にいて、しんと寝静まった階下の父母の部屋に耳を澄ませた。いつしか、父母は老境に、私は壮年の働き盛りになっていた。平成10年作。『河岸段丘』所収。
暑い夏は涼しさに敏感になり、涼しさを求めることから、「涼し」は夏の季語になっている。と同時に、「月涼し」「星涼し」「涼風」「朝涼」「晩涼」など、月や星や朝晩の涼しさを楽しむ。いずれも夏の季語だ。
掲句は、父母が健在だった頃、家人が寝静まった夜半に一人起きていて、ふと思い浮かんだ作品。二階の部屋にいて、しんと寝静まった階下の父母の部屋に耳を澄ませた。いつしか、父母は老境に、私は壮年の働き盛りになっていた。平成10年作。『河岸段丘』所収。
「明易し」は「短夜」の傍題。夏の夜の短さを惜しむ心に重きが置かれている季題だ。夜が明け白んでくる安堵感と名残惜しさが入り交じる。夜が明けても、心はゆらゆらと夜と朝の間を漂う。
掲句は、美術館に展示されていた空也上人絵伝が契機になってできた作品。空也上人(903~972)は、日本で初めて称名念仏を実践した高僧。絵伝は、その生涯を、連続する絵と詞書によって示したもの。野ざらしの髑髏を供養する空也上人の姿を描いた絵もその中にあった。人の一生の儚さということを、不意に突き付けられたような気がした。平成14年作。『河岸段丘』所収。
行々子(ぎょうぎょうし)は葭切のこと。初夏に日本各地の川原や湖沼などの葦原に飛来し、繁殖期の間、オスはギョッギョッと騒がしく囀る。関東平野でもよく見かける鳥だ。
掲句は、戦国時代に水攻めが行われた忍城(おしじょう)跡での作品。城の水攻めといえば、備中高松城が有名だが、豊臣秀吉の小田原征伐に際して行われた忍城の水攻めも、知る人ぞ知る戦国時代の事跡だ。忍城は豊臣方の水攻めには耐え抜いたが、明治時代には廃城となり、土塁の一部を残して取り壊された。現在は公園となり、外堀や土塁の一部が当時の地形をとどめているに過ぎない。折から辺りの葦原で、暑苦しい声で葭切がしきりに鳴いていた。平成16年作。『河岸段丘』所収。
夏の暑さの表現には、薄暑、溽暑、炎暑など様々な言い方があるが、「暑し」はその最も一般的な表現。どのような対象や場面に暑さを感じるかは、人それぞれの感覚の働きによる。
掲句は、私が生まれ、現に住んでいる「坂東(ばんどう)」の暑さを詠んだ作品。「坂東」とは箱根より東の国のこと。「関東」「関八州(かんはっしゅう)」などの呼称もあるが、私はより重厚な「坂東」という呼び名が好きだ。海から離れた内陸性気候であり、寒暖の差が激しく、夏の盛りの暑さは手強いものがある。令和2年作。
「黴」(かび)は、菌類のうち茸にならないものの総称。梅雨を始めとして夏の高温多湿の状態では、食物や書籍、衣服などあらゆるものに黴が発生する。我々は、生活空間の様々なところで黴を目にする。放っておかれて黴びないものはない。
掲句は、職場から派遣された研修で明治以来の古文書を目にする機会があり、その綴じ方や紙質に時代の推移を感じてできた作品。明治時代の文書が、日本伝統の和綴じで端正に仕上げられていたのに対し、昭和初期や戦時中の文書が、劣悪なざらざらした紙を用いていて、劣化著しいのを目の当たりにしたのだった。下五の「黴の中」は、無慈悲で容赦のない月日の経過を表そうとした。平成14年作。『河岸段丘』所収。