椿の実は夏から秋にかけて紅褐色を帯び、強い艶が目を惹く。大きさは赤子の握り拳ほどだ。
掲句は、長男の結婚を祝しての作。子育て中苦労した時期もあったので、天に感謝したい気持ちが「賜りし」の措辞に出ていると思っている。熟れかけた「椿の実」が惚れ惚れするような色艶を呈していた。令和元年作。
椿の実は夏から秋にかけて紅褐色を帯び、強い艶が目を惹く。大きさは赤子の握り拳ほどだ。
掲句は、長男の結婚を祝しての作。子育て中苦労した時期もあったので、天に感謝したい気持ちが「賜りし」の措辞に出ていると思っている。熟れかけた「椿の実」が惚れ惚れするような色艶を呈していた。令和元年作。
俳句で「秋蒔き」といえば、野菜の秋蒔きのこと。大根、蕪、牛蒡、蚕豆などの種蒔きは初秋から仲秋にかけて行う。秋蒔きの時期は、野菜やその品種ごとにそれぞれ適期がある。秋蒔きの野菜は、大根や白菜のように初秋の頃種を蒔き、その年の晩秋から冬にかけて収穫するものもあるが、キャベツのように次の年の春から初夏にかけて収穫期を迎えるものもある。

唐黍はトウモロコシのこと。秋の代表的な味覚の一つだ。
掲句は、晩夏初秋の頃長野の佐久地方を旅したときの作品。八方に立ち上がる雲は爛熟の様相を呈し、夏も終わりに近いことを思わせた。相変わらず真昼の日射しは強かったが、時折吹き抜ける風は思いのほか涼しく、収穫間近なトウモロコシの葉を鳴らした。佐久平は、北に浅間山、南に八ヶ岳や蓼科など三方を山に囲まれる高原地帯。令和元年作。
夜が長い秋は闇に親しむ季節だ。闇の中で虫の声に耳を澄ましていると、来し方やわが身の行く末のことが胸中を去来する。
掲句は暗がりで虫の鳴き声に包まれていての作。近くの闇に鳴いているコオロギも、たまたまコオロギに生まれて、今を生きている。私も60余年前に人に生まれて今を生きている。人の命もコオロギの命も、ともに宇宙の生々流転の中にあるというようなことを思った。令和4年作。
俳句で小鳥といえば、尉鶲、鶸など秋に渡ってくる小鳥たちや、留鳥であっても、秋に山地から平地に下りてくる小鳥たちのこと。春から夏にかけて姿を見せなかった尉鶲のよく通る声を庭先に聞くと、秋の到来を実感する。
掲句は多摩全生園の園内を散策したときの作品。園内にかつてあった分校の跡地は公園となり、記念碑を残すのみとなっていた。記念碑のレリーフに手で触れると、ひやりと冷たい感触があった。令和4年作。