「明易し」は「短夜」の傍題で、夏の夜が短く、忽ち明けかかることをいう。
掲句は、近くの公園の池での早朝の嘱目。カルガモが一羽の雛鳥を従えて泳ぎ回っていた。数日前は二、三羽の雛を従えていたのが、鴉に襲われたのか、たった一羽になってしまったのだ。最後の一羽だけはどうか無事に育って欲しいと心の中で念じながら、暫くそこに佇んだ。「明易き」との季語の選択に、この世で限りある生を営む者同士の共感の思いが、投影しているのかも知れない。平成11年作。『河岸段丘』より。
「明易し」は「短夜」の傍題で、夏の夜が短く、忽ち明けかかることをいう。
掲句は、近くの公園の池での早朝の嘱目。カルガモが一羽の雛鳥を従えて泳ぎ回っていた。数日前は二、三羽の雛を従えていたのが、鴉に襲われたのか、たった一羽になってしまったのだ。最後の一羽だけはどうか無事に育って欲しいと心の中で念じながら、暫くそこに佇んだ。「明易き」との季語の選択に、この世で限りある生を営む者同士の共感の思いが、投影しているのかも知れない。平成11年作。『河岸段丘』より。
「泉」は、地下水が地表に湧き出たもので、湧き出る水の量感・透明感が涼味を感じさせることから、夏の季語となっている。
掲句は、石神井公園での作品。池を巡る木道の途中に泉が湧いていて、周囲に林立する落羽松(らくうしょう)が、ベンチに憩う人を包み込むように大きな木陰を作っていた。その根の一つが、地表に浮き出たまま泉まで伸びて、爬虫類の膚のようにぬめぬめと濡れ光っていた。この樹の生への意思を、そこに見たような気がした。平成14年作。『河岸段丘』所収。
「雪加」はスズメ目セッカ科の留鳥で体長12センチ程。川原や草原、農耕地などに棲み、昆虫、クモなどを捕食する。雄は繁殖期にヒ ッヒッヒッと弾力のある声で高らかに鳴き、下降する時はチャッチャッチャッという地鳴きをする。夏の季語。
掲句は、さきたま古墳群を訪れたときの作品。5~7世紀頃に作られた9基の古墳が群集している公園だが、公園といっても、当時は夏草が生い茂り、付近の畑や草原を縄張りにしている雪加が頻りに鳴いていた。木陰の乏しい炎天の日射しの中を歩きながら、古墳の横穴の奥にある石室の暗がりを想像した。平成16年作。『河岸段丘』所収。
蕗の薹は、楤の芽や独活、こごみなどと並んで、早春を代表する山菜の一つだ。「蕗味噌」は、蕗の薹を刻んで味噌等を加えて混ぜ、火にかけて作る。早春の味わいそのもののその風味を、酒の肴として味わうのもいい。齢を重ねるにつれて、蕗味噌の苦みが苦手でなくなったのは、私だけではないだろう。
掲句は、近年ことに好ましく感じるようになった「蕗味噌」の苦みを表現しようとしてできた作品。ポイントは、味覚を「うすむらさき」という視覚に訴えるものとして表現したことの成否だろう。令和5年作。
「蓴」(ぬなわ)、「蓴菜」(じゅんさい)は沼などの水面に葉を浮かべる水草の一種。 茎から出る新芽はゼリー状のぬめりで覆われており、吸い物や酢の物の食材となる(夏の季語)。
掲句は、職場の送別会で、宴が闌けた頃の気分を作品にしたもの。思えば、長い職業生活の間には、数えきれないほどの歓迎会、送別会、懇親会等があったが、目の前の料理を味わって食べることは稀だった。職場の宴席などそんなものと割り切ってしまえばいいのだろうが、宴席が、職業人としての気遣いだけに終わってしまったことに、過ぎ去ってみて一抹の寂しさもなくはない。平成21年作。『春霙』所収。