榾(ほた)は囲炉裏や竈で燃やすための、木の幹や枝、切り株などを乾燥させた焚き物のこと。
掲句は山荘の暖炉で榾の燃え崩れる様を詠んだ作品。燠(おき)は榾や薪などが燃えて炭火のようになったもの。水楢の榾が燃え盛って、紅椿のような真っ赤な燠をこぼした。炉床に落ちた燠は、ゆっくりと灰になっていく。「花びらのごと」との比喩はそのとき感じたままの表現。火を見て過ごす心豊かな時間が流れていた。令和7年作。
榾(ほた)は囲炉裏や竈で燃やすための、木の幹や枝、切り株などを乾燥させた焚き物のこと。
掲句は山荘の暖炉で榾の燃え崩れる様を詠んだ作品。燠(おき)は榾や薪などが燃えて炭火のようになったもの。水楢の榾が燃え盛って、紅椿のような真っ赤な燠をこぼした。炉床に落ちた燠は、ゆっくりと灰になっていく。「花びらのごと」との比喩はそのとき感じたままの表現。火を見て過ごす心豊かな時間が流れていた。令和7年作。
「蛇笏忌(だこつき)」は俳人飯田蛇笏の忌日で10月3日。昭和37年のこの日、山梨県の境川村(当時)の自宅で亡くなった。格調高い句風で立句の名手と言われ、「雲母」を主宰した。 亡くなったのが秋のたけなわだったこともあり、蛇笏と言えば秋の俳人との印象が強い。
掲句は戸外散策中の作品。秋の気配が日に日に濃く、鵙がよく鳴いた。一羽が梢で鳴くと、少し離れた梢でも別の一羽が鳴いた。鳴く時間帯に応じて、朝鵙、夕鵙などというが、日の出の前後に鳴く鵙の晴れ晴れとした声は印象的だ。今日の好天を約束してくれているかのような鋭く力強い声だった。令和7年作。
「秋深し」は、晩秋の頃のもの淋しさの漂う静けさや落ち着いた風情をいう。多分に心理的な言葉。
掲句は立冬を前にして、木々と木々に群がる鳥を詠んだ作品。人の目に好ましい樹形があるように、鳥たちにも止まりやすい木や憩える枝があるようだ。朝、疎水の小橋を渡るとき、梢にいつも雀が群がっている枯梅がある。近くに餌がある訳でもないので、朝日を待っているように思えるが、本当のところは雀に聞いてみなければ分からない。外敵が良く見えるというのも、雀たちにとって大事な条件なのかも知れない。令和6年作。
「龍の玉」はユリ科の多年草ジャノヒゲの実のこと。山中の暗い林床に自生するほか、庭園などの木蔭に植えられる。冬、株元にコバルト色の実が生る。
掲句は高麗王廟での作品。この王廟は、7世紀に日本へ渡来した高句麗の王族高麗王若光の墓とされ、日高市の聖天院にある。石を重ねただけの素朴な石塔を眺めながら、渡来の民がこの地に根付いた歳月の永さを思った。王廟の縁には、ジャノヒゲが植えられてあった。平成11年作。『河岸段丘』所収。
黍はイネ科の穀物で、秋に収穫される五穀の一つ。古くから日本で栽培されてきた。丈が高く、夏から秋にかけて花を咲かせる。
掲句は八ヶ岳東麓の野辺山高原での作品。乳搾り体験や乗馬もできる観光牧場を訪れた。酪舎の暗がりに扇風機が回り、母牛が重たげな身を横たえていた。窓の外の黍畑を吹く爽やかな風とは対照的に、酪舎内には牛の臭いに加え、暑さと暗さが充満していた。平成11年作。『河岸段丘』所収。