「つりがねにんじん」は漢字表記では「釣鐘人参」。キキョウ科の多年草。全国の山地、高原などに自生する。晩夏初秋の頃、淡紫色の釣鐘の形をした花を下向きにつける。
掲句は八ヶ岳の東麓の野辺山高原での作品。林縁にこの花をよく見かけた。花の一つ一つが鐘の形をしているので、耳元で振ってみたいと思うような可憐な花だ。既に初秋の頃で、避暑期のピークは過ぎ、日暮れの気配が辺りに漂っていた。稜線の向こうに日が落ちると、たちまち夜闇が被さってくる頃だった。平成10年作。『河岸段丘』所収。
「つりがねにんじん」は漢字表記では「釣鐘人参」。キキョウ科の多年草。全国の山地、高原などに自生する。晩夏初秋の頃、淡紫色の釣鐘の形をした花を下向きにつける。
掲句は八ヶ岳の東麓の野辺山高原での作品。林縁にこの花をよく見かけた。花の一つ一つが鐘の形をしているので、耳元で振ってみたいと思うような可憐な花だ。既に初秋の頃で、避暑期のピークは過ぎ、日暮れの気配が辺りに漂っていた。稜線の向こうに日が落ちると、たちまち夜闇が被さってくる頃だった。平成10年作。『河岸段丘』所収。
「稲妻」は、放電現象により空に走る電光のこと。雷が遠方のために雷鳴が聞こえず、光だけが見えるものや、雨を伴わないものを指すことが多い。
掲句は八ヶ岳山麓の野辺山高原に滞在中の作品。昼間は佐久平を隔てて遥か北に望まれた浅間山のなだらかな山容も、夜になるとすっかり闇に包まれる。その夜は、時折遠い雷が音もなく、瞬くように空や近くの山々や四辺の木々を照らし出していた。「稲妻」により昼間眺めた野の起伏が遥かまで照らし出される様を想像した。令和7年作。
我が国の稲作は縄文時代の終わりに始まったとされ、米は日本人の主食の座を今でも守り続けている。「稲の秋」は、稲穂が黄熟して収穫期を迎えた秋の情景を大きく捉えた言葉。
掲句は旅中、川の名が途中で変わることに興趣を感じたことが契機になってできた作品。数年前のバスツアーでの北海道の道東から道央への移動は、石狩川を上流へと遡るルートだった。石狩川はいつしか空知川、富良野川へと名を変え、折りからの麦畑の中を水嵩豊かに悠然と流れていた。その後、大景の中を名を変えて流れ続ける大河の印象を反芻し続けて、掲句の形になった。実景は初夏の麦畑の景だったが、作品の中では、「稲の秋」という秋の稲田の中の川を詠んだ作品になった。令和7年作。
「虫」は、キリギリス、コオロギなど秋に鳴く虫の総称。その鳴き声を愛でる。立秋の頃から鳴き始め、秋が深まる頃まで鳴き続ける。
わが家の周りで鳴くのは、エンマコオロギやツヅレサセコオロギ、カネタタキなど。ときには家の中に入り込んだ可憐な姿を見かけることもあるが、大抵の場合、鳴き声を聞いてその存在を確かめる。秋の夜更け、窓辺のすぐ外で鳴いているコオロギの声にほのかな温もりを感じたのがこの句の契機である。令和7年作。
「涼新た」は、夏の暑さの中で感じる一時的な涼しさとは異なり、秋になって本格的に涼しくなったこと。涼しく過ごしやすい季節になったことを実感し、ほっと一息つく季節。「新涼」の傍題。
掲句は、とある近隣の禅寺の境内での作品。三重塔を囲むようにして十三仏の石像が据えられてあり、弥勒菩薩(みろくぼさつ)の半跏思惟像もその中にあった。人々を救済する方法を思い巡らしているとされる半跏思惟像を眺めていると、ふと、その思惟の端にわが身がいるような錯覚を覚えた。極暑の夏もようやく去り、折りからの心地よい涼気の中で、ふと沸いた想念である。令和7年作。