「迎盆(むかえぼん)」は旧暦7月13日の夕、迎え火や盆提灯で先祖を迎えること。地域によっては陽暦で行うところも多い。「盂蘭盆会(うらぼんえ)」の傍題。
掲句は、お盆の13日に菩提寺に立ち寄った後、墓まで父母を迎えに行った時の作品。その日は朝から生憎の雨だったが、本降りと言うほどではなく、午後もしとしとと降り続いていた。白木の卒塔婆を担いで雨の中を歩いた。道すがら白さるすべりが折からの雨を含んで咲きこぼれていた。父母を迎えるしんとした思いに、さるすべりの白い印象が重なった。令和7年作。
「迎盆(むかえぼん)」は旧暦7月13日の夕、迎え火や盆提灯で先祖を迎えること。地域によっては陽暦で行うところも多い。「盂蘭盆会(うらぼんえ)」の傍題。
掲句は、お盆の13日に菩提寺に立ち寄った後、墓まで父母を迎えに行った時の作品。その日は朝から生憎の雨だったが、本降りと言うほどではなく、午後もしとしとと降り続いていた。白木の卒塔婆を担いで雨の中を歩いた。道すがら白さるすべりが折からの雨を含んで咲きこぼれていた。父母を迎えるしんとした思いに、さるすべりの白い印象が重なった。令和7年作。
「明易し(あけやすし)」は夏の夜が早く明けること。多くの歳時記では、「短夜(みじかよ)」の傍題としている。「短夜」が夜の短さを言うのに対し、「明易し」には夜が急いで明けていくことへの感慨や、夜明けの早さを惜しむ気持ちが込められている。
掲句は南仏旅行中の一句。シャモニー近郊のセルボ村のコテージは、正面にモンブラン山系の山々を望むロケーションにあった。毎朝目を覚まして外のデッキに立つと、今日の空の機嫌はどうだろうかと、雪を被ったままの山々に目を向けた。東から昇ってくる太陽が、それらの山々を真横から輝かし始めた。夏の朝の冷え冷えとした空気が身を包んだ。令和7年作。
「青林檎(あおりんご)」は7月頃から出荷される早生種の林檎。果皮が青く果肉は酸味が強い。丸ごと齧 ったときの口中に広がる清涼感は夏のもの。熟す前のまだ青い状態の林檎を指すこともあるようだ。単に「林檎」といえば秋の季語。
掲句も南仏旅中の作品。シャモニー近郊のセルボ村の村内には、至る所で林檎やプラムが青い実をつけていた。無花果(いちじく)や榛(はしばみ)の実も見かけた。モンブラン山系の山々が雲間から顔を出す雨上がりには、それらの青い実が初々しく、色鮮やかに目に沁みた。令和7年作。
「緑さす」は初夏の新樹や若葉に日が差し込み、その緑色が周囲に照り映える様子を表す。「新緑」と同義で使われることが多く、「新緑」の傍題としている歳時記もある。
掲句は南仏旅行中の作品。シャモニー近郊のセルボ村を散策しているとき見かけた光景が契機になっている。大きなトレーラーから、数千頭の羊が野に放たれた。それらの群羊(ぐんよう)を追う牧羊犬が数匹、その羊の群れの周りを行きつ戻りつして、賢そうに走り回っていた。羊らは草を踏み灌木を潜りながら、野を移動して行った。羊の背中にSやTの焼印(やきいん)を押してあるのが印象的だった。焼印は、所有者を識別するためのものだろう。令和7年作。
「炎天」は太陽の日差しが強く、焼け付くような真夏の空のこと。
掲句は今年(令和7年)の6~7月に南仏を旅行したときの作品。日本と同様、その頃のヨーロッパも熱波に見舞われていた。コートダジュールからプロヴァンスにかけてのエリアを巡る中で、多くの教会や大聖堂の内部を見る機会があったが、その日は地中海沿岸の港町ヴィルフランシュ・シュル・メールのサンピエール礼拝堂やサンミシェル教会を訪れた。礼拝堂の朝の祭壇(さいだん)には、礼拝に来た人たちの蠟燭の灯が二、三ともっていた。キリスト教信仰とは無縁の私だが、その地に住み、心の拠り所として日々教会に親しんでいる人々の心持ちを想像してみた。教会の天井辺りに鳥の巣があるらしく、雛鳥の声が時折こぼれてきた。令和7年作。