「寒日和」は厳寒中の晴天のこと。「寒晴」ともいう。寒の入りから節分までの約30日間の「寒」の時期を中心に、厳しい寒さが続く。太平洋側では、晴天が続くことが多い。
掲句は、桜田通り沿いのプラタナスを詠んだもの。植えられたのは昭和初期。関東大震災からの復興のシンボルとしての意味合いもあったようだ。夏に茂らせる瑞々しい緑の葉もいいが、葉を落としきった冬の姿も捨てがたい。その瘤の多いごつごつした幹には、手で触れてみたくなるような硬質の存在感がある。平成7年作。『河岸段丘』所収。
「寒日和」は厳寒中の晴天のこと。「寒晴」ともいう。寒の入りから節分までの約30日間の「寒」の時期を中心に、厳しい寒さが続く。太平洋側では、晴天が続くことが多い。
掲句は、桜田通り沿いのプラタナスを詠んだもの。植えられたのは昭和初期。関東大震災からの復興のシンボルとしての意味合いもあったようだ。夏に茂らせる瑞々しい緑の葉もいいが、葉を落としきった冬の姿も捨てがたい。その瘤の多いごつごつした幹には、手で触れてみたくなるような硬質の存在感がある。平成7年作。『河岸段丘』所収。
「甘藍(かんらん)」は、一般的にはキャベツと呼ばれるアブラナ科の野菜。明治以降にヨーロッパより導入され、全国で栽培されている。中心部の葉はぎっしりと重なって球状をなす。
掲句は八ヶ岳東麓の野辺山高原での作品。ここの農業は、冷涼な気候を活かした高原野菜と酪農。標高の高い寒冷地なので、キャベツやレタスの苗の植え付けが始まるのは6月頃で、収穫作業は10月初旬まで続く。その間は盆休みも無いようだ。キャベツの収穫は家族総出で、キャベツを捥いだり、段ボールを組み立てたり、箱詰めしたり、積み込んだりする作業を分担してやっていた。夏の暑い盛りなどには、トラックの幌の陰などで休息していることもあった。「きしきし」という擬音語で、キャベツの質感が表現できていたら幸いだ。平成7年作。『河岸段丘』所収。
「息白し」は、気温が低い冬の朝などに、吐く息に含まれる水蒸気が冷やされて白く見えること。
掲句は奥武蔵の原木場での所見。とある無人駅の前に、スギやヒノキの丸太が山積みになり、黒いジャンパーを着込んだ男たちが小さな手帳を手に糶(せり)の最中だった。この辺りの材木は西川材と称する地域のブランド材。江戸時代には、この地域の木材を筏で江戸まで流送していたという。平成6年作。『河岸段丘』所収。
梅雨寒は雨が降り続く梅雨の時期に一時的に気温が下がり、肌寒く感じられること。
掲句はかつて通勤者だった頃の、日比谷公園での作品。改めて調べてみると、日比谷公園の鶴の噴水が作られたのは明治38年頃で、公園等での装飾用噴水としては、日本で3番目に古いものだという。池の真ん中に、銅製の鶴が翼を広げたまま水を噴き上げている様は、昼休みの散歩の時などに度々目にした。その日は梅雨寒の小雨が降る中、傘をさしてしばらく眺めていた記憶がある。雨空へ嘴を向けて立っている銅製の鶴に梅雨寒を感じたことが、この句ができた契機。平成5年作。『河岸段丘』所収。
「秋霖(しゅうりん)」は、秋の長雨のこと。夏の夕立のような激しい雨ではなく、時に一日中、或いは数日間にわたり静かに降り続く。
掲句は母方の祖父が亡くなり、四十九日の法要を済ませて納骨したときの作品。「男」と素っ気なく言っているが、実際に卒塔婆を担いでいたのは父であった。そんな時の雨は冷え冷えと胸に沁みるものである。私としては、初期の作品に属する一句。その年の5月に生まれた次男が、葬儀の雰囲気に異様なものを感じたのか、法要の最中に泣き出したことを覚えている。平成4年作。『河岸段丘』所収。