中国原産のアオイ科の耐寒性落葉低木で、平安時代に渡来。暖地で自生しているほか、庭木として広く植栽され、生垣にもよく用いられる。晩夏から秋にかけて長い日数を次々に咲き続ける。葉の腋から短い花柄を伸ばし、紅紫色の五弁花をつける。一日花で、朝に咲き夕方しぼむ。園芸品種の花色は桃色、藤色、白色など多彩で、八重咲きの品種も多い。木槿の多くは、花の中央の底の部分が紅色をしていることから、底紅(そこべに)ともいわれる。

中国原産のアオイ科の耐寒性落葉低木で、平安時代に渡来。暖地で自生しているほか、庭木として広く植栽され、生垣にもよく用いられる。晩夏から秋にかけて長い日数を次々に咲き続ける。葉の腋から短い花柄を伸ばし、紅紫色の五弁花をつける。一日花で、朝に咲き夕方しぼむ。園芸品種の花色は桃色、藤色、白色など多彩で、八重咲きの品種も多い。木槿の多くは、花の中央の底の部分が紅色をしていることから、底紅(そこべに)ともいわれる。

陰暦7月7日の夕方の意。季節の節目(節句)に行われる年中行事である五節句の一つ。五節句は、人日(1月7日)、上巳(3月3日)、端午(5月5日)、七夕(7月7日)、重陽(9月9日)。6日の夕方に笹竹を立てて願意を書いた短冊などで飾りつけをし、7日又は8日の朝に川や海に流す。七夕は、①日本の神事である棚機(たなばた)、②織姫と彦星の伝説③奈良時代に中国から伝来した行事「乞巧奠(きこうでん)」の3つが習合してできた行事と考えられている。平安時代には、宮中行事として七夕行事が行われるようになり、その後、江戸時代に庶民の行事へと広がった。そして、野菜や果物をそなえて、詩歌や習いごとの上達を願い、五色の短冊に色々な願い事を書いて笹竹につるし、星に祈るお祭りとなった。なお、現在の太陽暦では7月7日はまだ梅雨の時期で天の川を見られないことも多いが、古くは現在の8月上旬から下旬に当たる旧暦の7月7日に七夕の行事が行われており、現在でも旧暦の7月7日に七夕行事を行っているところも多い。


ヒルガオ科の蔓性一年草。原産は、熱帯アジア、熱帯アメリカなどとする諸説がある。日本へは奈良時代に薬草として中国から渡来し、観賞用として植えられるようになった。広く栽培されるようになったのは江戸時代からである。晩夏から秋にかけて、早朝、漏斗状の花を開き、昼にはしぼむ。花の色は青や紫、白、ピンク、茶などさまざまな品種がある。旧暦7月(新暦では8月)の七夕の頃咲くので牽牛花ともいわれる。

ツユクサ科の一年草。日本を含む東アジア原産で、道端や草地、田畑、庭の隅などに群生して見られる。古来親しまれてきた草花で、ホタルグサやボウシバナ、アオバナなど別名も多い。7~9月頃、茎の先の貝殻のような苞葉に挟まれて小さな青い花をつける。朝顔と同様、早朝に咲き午後には萎む半日花。

中国・日本南西部原産のアオイ科の低木。暖地に自生するほか、関東以南の各地で栽培される。晩夏初秋の頃、直径8~10センチの白又は淡い紅色の五弁花がひらき、長期間にわたって毎日次々と開花する。朝咲いて夕方にはしぼんで落ちてしまう一日花。酔芙蓉は、朝の咲き始めは白いが、時間が経つにつれてピンクに変色する変種。近縁種に木槿があり、花期はほぼ重なる。
