「忘れ霜」は、春たけなわの頃降る霜のこと。桜の咲く時季を過ぎても、移動性高気圧にともなう夜間の放射冷却などで気温が急速に下がり、畑などに一面霜が降りることがある。私の近辺の茶園などでは、萌え出たばかりの茶の芽が霜にやられるのを恐れて、未明から除霜ファンを回す。古来「八十八夜の別れ霜」といわれ、5月のゴールデンウィークを過ぎる頃には、農家の人たちも降霜の心配から解放されることになる。「別れ霜」「晩霜(ばんそう)」「霜の果」などともいう。

「忘れ霜」は、春たけなわの頃降る霜のこと。桜の咲く時季を過ぎても、移動性高気圧にともなう夜間の放射冷却などで気温が急速に下がり、畑などに一面霜が降りることがある。私の近辺の茶園などでは、萌え出たばかりの茶の芽が霜にやられるのを恐れて、未明から除霜ファンを回す。古来「八十八夜の別れ霜」といわれ、5月のゴールデンウィークを過ぎる頃には、農家の人たちも降霜の心配から解放されることになる。「別れ霜」「晩霜(ばんそう)」「霜の果」などともいう。

公園や庭園は年を通して四季折々の風情を楽しめるが、生き生きと木々が芽吹き、色とりどりの花を咲かせ、芝が青み、梢に鳥たちの囀りが聞かれるようになる春は、ことに心惹かれる場所だ。そこは、常日頃の忙しない日常とは別の時間が流れているようだ。職場が近くにある人が、束の間の昼休みを憩いに来る。絵画教室の生徒らしい人たちが、木陰などに思い思いに画架を立てている。ベンチで一人弁当を広げている人もいる。子供たちは夢中になって遊具に集まっている。木の周りには、自転車や乳母車が乗り捨ててある。冬の寒さから解放されて、誰にも拘束されることなく、思い思いに過ごせるのが、「春園」の魅力だ。

俳句で「夜桜」といえば、夜の桜のことであり、また、夜桜見物を意味することもある。昼の桜も美しいが、夜、闇の中に仄かに浮かび出ている桜やライトアップされてくっきりと妖しい美しさを浮かび上がらせている桜は、人々を惹きつけて止まない。歳時記では「夜桜」が、通常、植物の部ではなく、生活の部に分類されているのも、夜の桜の周りには、その美しさを堪能しようとする人々の影が見え隠れしているからだろう。いつもなら誰もが寝入っている夜更けになって、夜の桜の周りに佇んでいる人を見掛けるのも、この季節ならではのことである。

春咲く花には黄色の花が多い。立春を過ぎると三椏、山茱萸が先駆けて咲き、続いて黄梅、連翹、山吹など。その中でも花の盛りの連翹の鮮やかさは格別だ。川沿いの桜を眺めつつ歩いているときなど、連翹が目に入ると、旧友に会ったときのように、ほっとした気分になる。桜で冷え冷えとした目と心が和む。夕暮どきにいつまでも暮れ残っているのもこの花だ。連翹を眺めていると、なぜか父母が存命だった頃のことが思い出される。
下の写真は庭に咲いた連翹を撮ったもの。小雨が降り続く日だったので、やや沈んだ色合いに撮れた。
