「いぼむしり」は蟷螂(かまきり)の別名。 蟷螂にイボを噛ませたり、蟷螂でイボを撫でるとイボが治るとの俗説に由来する。
掲句は、「いぼむしり」が天空をめぐる月を獲って食ってしまうという。「いぼむしり」の前肢は鎌状をしていて、日頃はその前肢で他の虫を捕えて食らうのだが、その夜は、あろうことか、月に前肢を伸ばして捕えて食らってしまったというのだ。「いぼむしり」という俗信に由来する奇妙な名が、その愉しい想像を生かしている。『俳句』2025年11月号。
「いぼむしり」は蟷螂(かまきり)の別名。 蟷螂にイボを噛ませたり、蟷螂でイボを撫でるとイボが治るとの俗説に由来する。
掲句は、「いぼむしり」が天空をめぐる月を獲って食ってしまうという。「いぼむしり」の前肢は鎌状をしていて、日頃はその前肢で他の虫を捕えて食らうのだが、その夜は、あろうことか、月に前肢を伸ばして捕えて食らってしまったというのだ。「いぼむしり」という俗信に由来する奇妙な名が、その愉しい想像を生かしている。『俳句』2025年11月号。
「夜長」は秋の夜の長いことをいう。秋分が過ぎると、昼よりも夜が長くなり、夜の長さを実感するようになる。暑かった日々の記憶も遠ざかり、長い夜を読書などで過ごすのもこの頃。
掲句は、秋の夜道をひとり辿るところを詠んだ作品。前を行く夫婦か恋人らしい見知らぬ二人の人影。少し離れて同じ道を辿っていく作者。前を行く二人も作者自身も秋の夜長のただ中にいる。ただそれだけの内容だが、夜長の情感が句のすみずみにゆきわたっている。『俳句』2025年11月号。
「案山子(かがし)」は田畑に立てられる人の形をした人形。鳥や獣から作物を守る役割があり、豊作を願う依代(よりしろ)や、畑のお守りのような存在としても親しまれてきた。収穫が終わり用済みになったものが「捨案山子(すてかがし)」。
掲句は谷戸奥の田圃の「捨案山子」を詠む。稲刈りが終わり、谷戸の田圃の畦などに、役割を終えた二、三の案山子が地面から引き抜かれて、凭れ合う形で置いてあるという。「凭れ合ふまま」の措辞に、作者の確かな写生の目がある。「谷戸(やと)」は丘陵地が浸食されてできた谷状の地形のこと。収穫を終えた谷戸奥の田圃の情景が見えてくる。『俳句』2025年11月号。
「威銃(おどしづつ)」は猪、鹿などの獣や雀を追い払うためにたてる大きな音をいう。実際に銃を撃つわけではなく、カーバイドやプロパンガスを爆発させたりして銃に似た音を立てる。田畑が広がる農山村に一定間隔で爆発音が響き渡る。
掲句は、村に響き渡る「威銃」を詠んだ作品。「威銃」の谺は四囲の山々にぶつかって折り返してくるという。その「たあん」という擬音語が、実りの秋を迎えた村の満ち足りた静けさを感じさせて効果的だ。秋晴れの空は底抜けの青さ。村内に人影は見えない。『俳句四季』2025年11月。
「去年今年」は大晦日から元日にかけて去年と今年が入れ替わること。年がすでに改まった新年の季語である。一夜にして年が改まる時の流れの迅速さに対する感慨がこめられている言葉。
掲句は年が改まった元日の未明に頭上の星々を仰いでの作品。星々は一見静止しているように見えながら、刻々と西の方へ「座移り」していく。「座移り」の「座」は星座の「座」であるが、より一般的に、それぞれの星が夜空に占める位置という程の意味だろう。「座移り」という措辞の簡潔なひびきは、新たな年に向けた作者の引き締まった前向きな思いを感じさせる。『俳句四季』2025年11月号。