白菜は代表的な冬野菜。霜に当たると甘みが増すため、鍋料理や漬物など冬の料理に広く使われる。明治時代に中国から伝来した。
掲句は白菜を入れた鍋や煮物が煮えるまで、傍らで本を読みふけっている情景を詠む。独りの食事の準備の手すきに、本を披いているのだろう。入れたときには真っ白だった白菜が、いつしか煮えて透きとおっていた。煮えるのを楽しみにしながらも、時間を忘れて本の世界に没入しているのだ。鍋料理などの湯気や匂いの中での、独りで過ごす時間の充実感が、そこには感じられる。『俳壇』2026年4月号。
白菜は代表的な冬野菜。霜に当たると甘みが増すため、鍋料理や漬物など冬の料理に広く使われる。明治時代に中国から伝来した。
掲句は白菜を入れた鍋や煮物が煮えるまで、傍らで本を読みふけっている情景を詠む。独りの食事の準備の手すきに、本を披いているのだろう。入れたときには真っ白だった白菜が、いつしか煮えて透きとおっていた。煮えるのを楽しみにしながらも、時間を忘れて本の世界に没入しているのだ。鍋料理などの湯気や匂いの中での、独りで過ごす時間の充実感が、そこには感じられる。『俳壇』2026年4月号。
「蝶」は彩り鮮やかな翅をもつ昆虫。陽春の日差しの中を花の蜜を求めてひらひらと舞う。単に「蝶」といえば春の季語だが、春に見かけるのは紋白蝶や紋黄蝶などで、小さく可憐なイメージがある。
掲句は、流感の高熱の最中に現れた蝶を詠む。流感はいわゆるインフルエンザのことで、現れた蝶は、高熱故に作者の脳裏に描き出された幻なのだ。この句から、私は日野草城の〈高熱の鶴青空に漂へり〉を思い浮かべた。草城の「鶴」もこの句の「蝶」も、高熱に浮かされた病中の心象であろう。作者は戸外の春の麗らかな日差しを想像しながら、病臥しているのだ。病苦も作句の契機にしてしまう作者の詩魂の逞しさを感じさせる一句。『俳壇』2026年4月号。
「春ショール」は春先のまだ少し寒さが残る時期に、防寒やお洒落を兼ねて肩に羽織る、薄手のウールやシルク素材のショールのこと。冬の厚手のショールとは異なり、軽やかで明るい色彩が春の訪れを感じさせる。
掲句は、潮風に解けて靡く「春ショール」を詠む。春になって日差しの力は増したが、依然として冷たい風が吹いている砂浜を想像したい。折からの風で肩を包んでいる「春ショール」が飛ばされそうになるのを手で押さえているのだろう。「春ショール」は、惜し気もなく周りに明るい春の色合いを撒き散らしているのだ。『俳句界』2026年3月号。
「残暑」は立秋を過ぎた後の暑さ。8月中は残暑の日がつづくが、近年は10月になって残暑を感じることも多い。いったん涼しくなった後で、暑さがぶり返すこともある。
掲句は軒下などに干してある唐辛子に残暑を感じての作品。その唐辛子が「ぺかぺか」乾いているという。「ぺかぺか」は特定の地方の方言ともいわれるが、乾燥した唐辛子の形容に用いたのは作者のオリジナルだろう。そういわれてみると、残暑の日差しを受けた唐辛子の艶やかな紅が目に浮かぶようだ。『俳句界』2026年3月号。
「猫の子」は春に生まれた猫の仔のこと。猫の発情期(猫の恋)はおおむね2〜3月であり、子猫が生まれるのはその約60日後のおおむね晩春の頃になる。
掲句は、人が掴みあげた猫の子を、手移しに掌(たなごころ)に受ける場面を詠む。生まれて間もない猫の子は、見知らぬ人の手に触れられる緊張から震えているのだ。猫の子のいのちの温もりや震えを、作者の掌はしっかり受け止める。掌は手のひらのことで、「たなごころ」と仮名書きしたことにより、猫の子のいのちを丸ごと受け止める作者の思いが伝わってくる。『俳句』2026年3月号。