俳句で「扇」といえば、あおいで涼を取るためのもの。竹や木を骨にして、紙、絹等を張って涼し気な色彩をほどこしたものが一般的だ。
掲句は、旅中持ち歩いている扇を、涼をとるために開いたところだろう。扇を開いた瞬間、その上に眼前の東山が緑滴らんばかり。東山は京都の東に位置する温和な山々の連なりだ。夏の京都の自然美を代表する東山を詠み込んで、旅中の作者の心の弾みの感じ取れる一句。『俳壇』2023年11月号。
俳句で「扇」といえば、あおいで涼を取るためのもの。竹や木を骨にして、紙、絹等を張って涼し気な色彩をほどこしたものが一般的だ。
掲句は、旅中持ち歩いている扇を、涼をとるために開いたところだろう。扇を開いた瞬間、その上に眼前の東山が緑滴らんばかり。東山は京都の東に位置する温和な山々の連なりだ。夏の京都の自然美を代表する東山を詠み込んで、旅中の作者の心の弾みの感じ取れる一句。『俳壇』2023年11月号。
正岡子規は明治35年9月19日に死去した。享年35歳。今なお、子規の遺した著作を読むと、子規という人が持っていた熱量が読む者にひしひしと伝わる。
掲句は「みの虫」や「みみず」を登場させて、子規を偲んでいる作品。俳句では蓑虫も蚯蚓も鳴く生き物とされ、「蚯蚓鳴く」「蓑虫なく」(いずれも秋季)などという。空想的な季語とはいえ、100年以上前に亡くなった子規に対する追慕の思いに加え、子規亡き世の寂寥感もそこはかとなく感じ取れる作品。『俳句』2023年11月号。
夜店は縁日の夜、神社の参道などに並ぶ露店のこと。食べ物、玩具、金魚など様々なものが売られる。涼みがてらにゆっくりと見て歩くのは、夏の夜の楽しみの一つだ。
掲句は、夜店そのものではなく、夜店が尽きた暗がりの瀬音に焦点を当てた一句。自ずから川沿いの参道にこじんまりと4、5軒の夜店が並ぶ様が想像される。夜店の明かりが途切れると、既に暮れ切った夜闇に瀬音がするばかりだというのだ。楽しみの中に一抹の寂しさが混じる。『俳句』2023年11月号。
泡立草とひと口に言っても、秋の麒麟草とも呼ばれる可憐な黄花を咲かせる草のほか、北アメリカ原産の荒れ地に群生する背高泡立草も含まれる。
掲句の泡立草は荒地に猛々しく生える背高泡立草の方だろう。「や」の切れ字を使った伝統的な句形だが、「町消えて」の上五の措辞から思い浮かぶのは、東日本大震災の被災地だ。被災して一瞬のうちに町が消え去り、残された荒地に小さな祠が一つ立っていたという。空想や誇張を排した実直な句柄だが、泡立草が非情な被災地の光景を彷彿させる。『俳句』2023年11月号。