「春待つ」は、長く厳しい冬が一段落して、寒い中にも時折春の訪れを感じる頃、新しい季節を待つ気持ちを表す冬の季語。早く春が来て欲しいと願う気持ちである。
掲句は、春の到来が近いことを鳥たちの声に感じ取っての作品。日向で鳴き交わす鳥たちの声が心なしか作者の耳に優しく艶やかに聞こえてきたのだ。「ふたいろみいろ」は、雀、目白、鵯など庭先で鳴く鳥の声を作者が聞き分けていることを示す措辞。仮名書きも、春を迎える鳥たちの優しい声音を想像させて効果的だ。『俳壇』2024年3月。
「春待つ」は、長く厳しい冬が一段落して、寒い中にも時折春の訪れを感じる頃、新しい季節を待つ気持ちを表す冬の季語。早く春が来て欲しいと願う気持ちである。
掲句は、春の到来が近いことを鳥たちの声に感じ取っての作品。日向で鳴き交わす鳥たちの声が心なしか作者の耳に優しく艶やかに聞こえてきたのだ。「ふたいろみいろ」は、雀、目白、鵯など庭先で鳴く鳥の声を作者が聞き分けていることを示す措辞。仮名書きも、春を迎える鳥たちの優しい声音を想像させて効果的だ。『俳壇』2024年3月。
「手套(しゅとう)」「手袋」は外出の際に、手や指を保温するために用いる。襟巻、ショール、防寒帽などとともに、冬の外出時に身につけるものの一つ。
掲句は、外出から帰ってきて、手套を脱ぎながら自問しているところだろう。幸せは待つのがいいのか、或いはより積極的に摑みに行くべきなのかと。「手套脱ぎ」との言いさしたような下五は、あまり深刻な場面ではなく、日常生活の中でふと浮かんだ疑問だったことを表しているようだ。その軽さ、さり気なさがいい。『俳壇』2024年3月号。
「春一番」は立春を過ぎてから初めて吹く強い南寄りの風のことで、もともとは漁師言葉。日本海を進む低気圧に向かって、太平洋上の高気圧から強い風が吹き込む。この風で草木の芽がほどけはじめ、春の本格的な訪れとなる。「春一番」のあと同様に吹く風は、「春二番」「春三番」などといわれる。
掲句は本格的な春の到来を前にした「訃報」を詠む。春の荒々しいエネルギーを感じさせる強風がいく度となく南から吹いてくる頃、知友の訃報に接したというのだ。今年になって訃報を受けるのは何度目だろう。そんな作者の嘆きを知ってか知らずか、季節は容赦なく進んでいく。『俳壇』2024年3月号。
白詰草は苜蓿(うまごやし)の花の別名。牧草として栽培されたものが、広く世界中で野生化している。ヨーロッパ原産で、日本には江戸時代に渡来。
掲句は、白詰草を眺めながら来し方を追想しての作品。かつて少女時代には、野で白詰草の花輪を作って遊んだこともあっただろう。白詰草を眼前にして、昔のそうした記憶がよみがえったのだ。しかし追想もいつか「今」に戻って来る。下五の「そして今」は、追想は追想として「今」を大切に生きなければとの思いの表現。『俳壇』2024年3月号。
「白鳥」はカモ科の水鳥。日本で越冬する白鳥は、オオハクチョウとコハクチョウの二種類。いずれもロシアのツンドラ地帯等で繁殖し、日本の北海道や本州の一部地域で越冬する。
掲句は白鳥の美しい姿ではなく、クワッ、クワッと鳴き声を発する喉に焦点を当てた作品。通常目に映るのは白鳥の優美な外面の姿だが、掲句からは、白鳥の喉のグロテスクな映像が自ずから思い浮かぶ。この句は、「白鳥の喉」の後に切れがあるものとして読みたい。したがって、「しんじつはずきずきす」との措辞は、白鳥のことを言ったものではなく、この世の真実一般のもつ心象的な痛みを表現しようとしたものだ。「ずきずきす」には、これまで半生を生きてきた実感が込められているようだ。『文藝春秋』2024年3月号。