「雛流し」は、雛を海や川に流すことによって、災厄を払うこと。古雛や紙製の雛などに穢れを移す祓いの行事。
掲句は、新年早々に生起した能登半島大地震や去年の各地の水害などを念頭に読みたい作品。これらの災禍の数々は、日本列島が受けた「深傷(ふかで)」といえるだろう。雛流しには、そうした災厄を払う意味合いがある。災禍の途切れることのないこの世の在りようを、大きく捉えた一句。『俳句界』2024年3月号。
「雛流し」は、雛を海や川に流すことによって、災厄を払うこと。古雛や紙製の雛などに穢れを移す祓いの行事。
掲句は、新年早々に生起した能登半島大地震や去年の各地の水害などを念頭に読みたい作品。これらの災禍の数々は、日本列島が受けた「深傷(ふかで)」といえるだろう。雛流しには、そうした災厄を払う意味合いがある。災禍の途切れることのないこの世の在りようを、大きく捉えた一句。『俳句界』2024年3月号。
鳰(にお)はカイツブリ科の小形の水鳥。全国の湖や沼にすみ、水に潜って小魚などを捕える。縄張り意識が強く、キリリリと大きな声で鳴く。
掲句は「つぷと」という擬態語にオリジナルな味わいのある作品。先人の句の中にも、秋の空に聳える富士を「にょっぽり」と形容したり、薄氷にのる鴨の足を「たわたわ」と形容したりするなど、効果的な擬態語の例句がある。この句が過去のそうした作に比肩するとは思わないが、「つぷと」との擬態語が、単独行動を好む鳰の動きや真昼の湖面の静かさを目に見えるように描き出している。『俳句』2024年3月号。
「囀(さえずり)」は、春になって繁殖期を迎えた小鳥たちの、求愛や縄張りを知らせる鳴き声。冬の間は地鳴きと呼ばれる短い鳴き声を発するだけだった小鳥たちが、春になると、高い梢などに姿を見せて囀り始める。
掲句は、日常のさり気ない動作を詠んで、春到来の気分を感じさせる作品。皿に残った魚肉のソースなどをパンで拭って食べることは、気の置けない家での食事の際にはよくあることだ。健康な食欲、無駄を出さない倹しい生活ぶりなどを想像させる動作だが、「囀」と取り合わせると、小鳥の声がとどく春の朝の明るい食卓風景が浮かび上がる。日常の何気ない動作も句の素材になることを、この句は教えてくれる。『俳句』2024年3月号。
「冬菫」は、春に先駆けて咲く菫のこと。よく晴れた日に、日当たりのよい斜面などに咲いているのを見かけることがある。
掲句は、ある人との「一会(いちえ)」を思い返しての作品。「一会」は、法会や茶会を指す場合もあるが、ここでは、一期一会ともいうように、ある人との生涯一度の出会いのこと。だが、会っている最中は、それが「一会」とは思いもしなかったのだ。あの時に会ったことが「一会」だったというのは、過ぎ去って初めて気づくこと。それも、命に限りある人間のこの世における厳粛な真実だろう。『俳句』2024年3月号。
瀧(たき)は、垂直に切り立つ断崖を流れ落ちる水のこと。その涼味から、夏の季語とされている。季語として認知されたのは近代になってから。
掲句は、主語として「水は」を補って読みたい作品。断崖を落ちていくのも、自らが瀧であったと気付くのも水である。水は上流から流れてきて、瀧に入る前は、まことに静かな流れであったが、水自身が知らぬ間に流れを早め、瀧となって轟いているのだ。地球上で千変万化する水と作者の心は、このとき一体化している。『俳句』2024年3月号。