「かたかご」は片栗の花のこと。山林の半日蔭や斜面に自生し、3月頃、茎の頂に紅紫色の花を下向きにつける。
掲句は、野に遊ぶ作者のさり気ない動作に、春を迎えた喜びや解放感が感じられる作品。遠景の火山が上げている「噴煙」と、足元の「かたかご」を並べたところに、春の山野に一日憩うのびやかな気分が出ている。「噴煙」といっても、人の生活を脅かすようなものでないことが想像される。『俳句』2024年4月号。
「かたかご」は片栗の花のこと。山林の半日蔭や斜面に自生し、3月頃、茎の頂に紅紫色の花を下向きにつける。
掲句は、野に遊ぶ作者のさり気ない動作に、春を迎えた喜びや解放感が感じられる作品。遠景の火山が上げている「噴煙」と、足元の「かたかご」を並べたところに、春の山野に一日憩うのびやかな気分が出ている。「噴煙」といっても、人の生活を脅かすようなものでないことが想像される。『俳句』2024年4月号。
「双六」は正月の室内遊戯の一つ。江戸時代から一般的になった絵双六では、サイコロのでた目の数だけ駒を進めて、先に上がった方を勝ちとする。
掲句は、双六のサイコロがどこに転がっても、そこがプレートの上だと詠む。地震は、地下にあるプレートのズレによって起こる。地震国である日本の付近では、太平洋プレート、フィリピン海プレート、ユーラシアプレート、北アメリカプレートの4枚のプレートがぶつかり合っているという。地震はいつ起こるか分からない。正月に双六に興じている最中にも、揺れが起こるかも知れない。〈プレートの上で日々生活しているのだから、誰も地震から逃れられないよ、そこで正月遊びに興じている君たちも。〉と呼びかけているような意味合いを、この句から感じ取ることができる。『俳句』2024年4月号。
「龍天に登る」は中国の古代伝説を起源とする空想的な季語。龍は想像上の動物で、春分に天に登り、秋分に淵に潜むと信じられた。陽春の頃、天に登り雲を起こし雨を降らせるとされる。
掲句は「龍天に登る」との壮大な空想的季語に、手元の消しゴムのかすを取り合わせた作品。紙に文字を書いては消す日常のひとコマ。紙に記した文字は消えて、机上に残っているのは消しゴムのかす。折から雨を降らせそうな雲が空を覆って、春雷が轟いている。「龍天に登る」という悠然たる天地自然の運行と比べると、日々の人間の営みの微小さが思われる。『俳句四季』2024年4月号。
「花冷え」は、桜が咲く頃、思いがけなく薄ら寒い日が戻って来ること。
掲句は泥絵具を指で溶くときの感覚を、花冷えの季感の中で浮かび上がらせた作品。泥絵具は、山から採掘した土を精製して不純物を取り除いた後に板状に干したもので、日本画に用いる。板状の泥絵具を溶くには、よくすりつぶしてから、膠液を加えて指でよく練るという。絵に関しては門外漢でそうした経験のない私にも、泥絵具が指についたときの感覚や胸中に広がる微かな華やぎがまざまざと感じられるのは、「花冷」という季語の的確さによるもの。『俳句四季』2024年4月号。
「桜貝」はニッコウガイ科の二枚貝。殻は薄く桜色で光沢がある。砂浜に打ち上げられているのを、拾って楽しむ。
掲句は、砂浜で桜貝を拾うという無償の愉しみと「小さな嘘」とを取り合わせた作品。だが、「小さな嘘」がどのような嘘なのか、作品には何の説明もない。いずれにしても、桜貝を拾っている作者自身の、或いは砂浜をともに歩いている年端の行かない子供などがついた他愛のない嘘なのだ。砂浜を歩いている二人を、穏やかな春の日差しが降り注いでいることだろう。「小さな嘘」という言葉のもつ可憐で微妙なひびきが、読者の想像を刺激する作品だ。『俳句界』2024年3月号。